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ヨット「ぽれーる」 東京発〜長期世界一周航海 (ぽれーる通信)
  船長:関 秀重 JE1LQA/MM 

2006年7月8日 9:00 東京湾マリーナを世界一周航海に向け出港しました。 航海は10年間の予定で2016年3月に戻るそうです。最初の寄港地カナダ・バンクーバーのビクトリアを目指します。


(写真をクリックすると拡大します)ヨット「ぽれーる」QSLカード



ヨット「ぽれーる」は52フィート・センターコックピットのカッターリグ艇(TAYANA52)です。通信設備はインマルサット(衛星電話、インターネット)、HF無線機その他6セット、航法機器はGPS × 2、ロランC、気象FAX、レーダー、前方警戒ソーナー、その他発電機8kwの装備を搭載しています。

この航跡はここからご覧いただけます。




2008/08/19 ぽれーる通信(ニューカレドニア・ヌーメアより)No.25


お久しぶりですが、オケラネットの皆さん、お元気ですか。
8月19日現在、ぽれーるはニューカレドニアのヌーメアに停泊しています。

バヌアツクルーズの開始

今回は、バヌアツ諸島クルーズについてお話します。
5月26日から6月18日の約3週間滞在したPortVilaを出港し、北部バヌアツの 島々を巡る40日間、総航程約460マイル(850km)のクルーズを行いまし た。

PortVilaを出港した日から天気予報に反して天候が悪化し、南東の強風(約30k t)、波が高く白波の立つ海、スコール、時々太陽と青空が出ますが、概ね小雨模様 で曇りの日が続きました。晴天も一日と続かない中、小刻みに島々を巡りました。そ れでもアンカリング地では一時の安らぎと素晴らしい人達に出会うことができまし た。また、Luganville湾とPort Sandwichを除くアンカリング地では他のヨットを見 ることのなく、ぽれーる一隻のみの錨泊が続きました。

EMAE島でバナナをくれたワバッキー

PortVilaを出港して最初の寄港地のNguna島までは一隻の船も見かけることもなく、また、アンカリング地でも人っ子一人も見かけない寂しい幕開けとなってしまいましい、 この先のクルーズが案じられました。しかし、Emae島ではアンカーを下ろすと同時にかなり離れた海岸からカヌーでぽれーるまで来た若者(ワバッキー)が約5 0本の青いバナナの実が付いた房を持って来てプレゼントしてくれました。

最初、ワバッキーの顔は一見厳つく、バナナの代金を請求されるものと思い断ろうとしましたが、彼の好意によるプレゼントとわかりたいへん感謝しました。 相手の容貌や身なりから変な偏見や先入観を持っていた自分が恥ずかしくなりました。 また、彼を船内に招待するとぽれーるにおいてあるウクレレを見つけるとすぐにそれを弾きながら得意なバヌアツ・ソングまで歌ってくれました。

EPI島果物をプレゼントしてくれたレアタとかわいいピタ

Epi島でもアンカリングをしていると子供(ピタ)を連れた若いお母さん(レアタ)がカヌーで来てたくさんのマンゴ、レモン、皮をむいた椰子の実、 グレープフルーツを「ようこそ、私たちの島に立ち寄ってくれました歓迎します。」と言ってプレゼントしてくれました。

また、ほとんどのアンカリング地では村の子供達が何隻かのカヌーでぽれーるから少し離れた周りに来て最初は興味深げに遠慮がちに見ているだけですが、 私から「ボンジュール!、ハロー!」と挨拶したり、子供達の挨拶に応えてあげるとすぐにぽれーるの近くまで来て、お互いの自己紹介とか私から村や子供 達の学校の様子、子供達からはどこから来たのか、いつまでここにいるつもりかという話をしている内にお互いすぐ仲良くなりました。

EPI島ガキ大将のジェフリーと控えめなウーア AMBRYM島イノス、ボン、サンディー、レンシー
AMBRYM島の海岸で遊ぶ子供達と AMBRYM島夢を語ってくれたサンディー達
AMBRYM島出港の朝行っちゃダメと見送りに来たイノスとボン ランプス村の「子供の日」朝から夕方まで行われた運動会種目は駆け足とサッカーのみ
私がぽれーるに上がってもいいよと言うと子供達は嬉しそうに甲板上をあっちに行ったり、こっちに行ったりし、キャビンでジュースを飲んだりみんなで記念撮影をして過ごし、 次の日にはその話を聞いた新たな子供達もやって来てくれました。そのような子供達とは日本、ヨットの旅、彼等の村の様子、普段の彼等の遊び、学校の様子等について話をしました。
また、私が彼等の将来の夢について尋ねると半分以上の子供はそんなこと考えたこともないという表情と、ただ恥ずかしそうにニコニコ笑っているだけでしたが、 回答してくれた男の子の中で意外に多かったのは「パイロット」、次が「大きな船の船乗り」、「漁師」、「ポートビラのような都会で働くこと」等、女の子では「先生」、「看護 婦」、「お母さん」、「綺麗なお店の店員」等でした。 そういえば、バヌアツでは島と島の交通手段として20人程度が搭乗できるレシプロ双発機が飛んでおり、 また、300トン程度の貨物船が定期的に大きな町と島の村を行き来しています。かなりの島には草地の飛行場があり、日に2,3便は飛行機が飛んでいるようです。 アンカリング地で村の沖合に錨を下ろした時、貨物船から人々が小さなボートを使って乗り降りしていたり荷物が運ばれているのを時々見ました。

こういう環境の中で子供達は飛 行機を見て「パイロット」になりたい、貨物船を見て「船員」になりたいと考えたのでしょうか。 しかし、飛行機の運賃はPortVilaから約270km離れたLuganvilleまでの片道でも15000バツ(17000円)とたいへん高く、旅行者、公務員、 お金に余裕のある人しか利用できないようです。

ところで、バヌアツでは小学校は義務教育ではありません。小学校に通うには地方の島でも年間で最低1500バツ(1700円)程度の授業料が必要で、 PortVila等の都会ではもっと多くのお金が授業料として必要だそうです。町や村ではこの授業料が払えなくて学校へ通っていない子供が新聞を売り歩いたり、 親の手伝いをしていたり、朝から魚釣りや遊んだりしています。

MALAKULA島PortSandwichでアンカリング MALO島アブナタリ村沖でアンカリング

PortVila、Luganville、Norsupのような大きな町を除くほとんどのアンカリング地でぽれーるは、村の人々から温かい歓迎を受けました。 わざわざカヌーでぽれーるまで来て村に来るように招待してくれたり、ディンギー等で海岸に上陸すると決まって誰かが村や周辺の案内役をかってくれました。

MALAKULA島PortSandwichの砂浜で MALAKULA島アンドレーの家族に夕食をご馳走に
MALO島マレヒ家族と昼食 'MALAKULA島ランプス村でお世話になったノエル家族とフランスから来ていたジェラルドとシーナ
そして、村の夕食等に招待され、灯油ランプの薄暗い村の中で夜遅くまで村の人達と語らいました。 Malakula島の最北端のLesarmalras村ではアンドレの家、Malo島Avunatari村ではマレヒの家に宿泊までさせてもらい、ガラスのないカーテンのみの開けっ放しの窓から心地よい風を受け、 土間のひんやりとした上に敷かれたゴザの上の寝心地はいい思い出になりました。
バヌアツに来るまでは蚊が媒介するマラリアが心配で予防薬の入手とか夜は長袖、長ズボンをと考えていましたが、その頃はすっかりそんなマラリア対策のことも忘れて蚊にさされて いましたが気にならなくなっていました。今のところ、私は病気にもかからず元気にクルーズを続けています。 ランプス村の「子供の日」昼食をご馳走になった家族と

PortVilaやLuganville等の大きな町では人々の食事は日本人と同じようにご飯やパンが主食となっていようです。 地方の島ではヤムイモ、タロイモ、料理用バナナ等にココナッツミルクをあえたものが中心でその中に近くで取れた魚の切り身などが入っていることがあります。 また、村のお祭りや村に来た人を歓迎するときなどは、子豚の丸焼きや、鶏肉の焼き物が出されます。

首都PortVilaのあるEfate島とLuganvilleの所在するEspiritu Santo島を除けくバヌアツの他の島は電気は通じていません。 ちょっとした町ではディーゼル発電機を備えているところもあります。他の島や村では夜になるとほとんど真っ暗になります。 その分、夜空に輝く南十字星やシリウス、カノープス等の星がほんとうに美しく見えます。たまに家の灯油ランプ、夜間漁や夜間移動のための懐中電灯の光、 たき火の明かりが見えることもあります。

ランプス村でKAVAナイト KAVAナイトで夜半酩酊状態で記念写真

例外的に村の男達の社交と歓談の場所となっている「KAVAバー(南国の村の一杯飲み屋)」としての集会小屋ではかなり夜遅く まで灯油ランプの薄暗い明かりが点いています。そのまわりにはKAVAで酩酊したお父さんや若者(村の女性は掟で加わることができません。)がひそひそ話をしていたり、 静かに座り込んでいました。私もその輪に入ってKAVAを飲み、酔いでかなりふらふらしながら懐中電灯を頼りにぽれーるまで帰ることになったことが数回ありました。

AMBRYM島クレイグ・コーブでアンカリング ぽれーる搭載のカヌーのウイルで上陸

アンカリング灯を付け忘れた時など真っ暗闇の湾に停泊しているぽれーるをカヌーやディンギーで捜し回るのはたいへん緊張し冷や汗ものでした。 何せバヌアツの湾内には場所によっては鮫が多くいます。Port Sandwichにアンカリングした時、そこの湾では過去に何人かの人が鮫に襲われており、 ちょうど私が到着した3日前に地元の人が砂浜近くの海岸で飼い犬を泳がせていた時、その犬が大きな鮫に食べられてしまったそうです。まったく映画「ジョーズ」の世界です。

AMBRYM島Fanla Art Festivalで一緒に輪になってダンス AMBRYM島Fanla村の長老達
AMBRYM島Fanla村の案内役のジョンと休憩中 AMBRYM島Fanla村の大酋長と

マルケサスからフィジーに至る他の南太平洋の島々に比較してバヌアツでは物乞いをする人は少ないように思います。もちろん、物々交換でロープ、乾電池等を欲しがる 人もいましたが、他の国のようにしつこく付きまとわれたり何回も言われることはありませんでした。 ただ、Pentcost島のHomo湾では村の酋長がカヌーで来て、ヨットのアンカリング料一晩500バツ(約600円)を請求されました。 それも、同じ村にもかかわらず時間をおいて三人の酋長(ナンバーワン、ナンバーツー、ナンバースリーの酋長)がぽれーるまで来てアンカリング料を請求したので 結局1500バツの出費になりました。

Pentcost島はバンジージャンプ(地元ではランド・ダイブ)、Tanna島は火山等の見物ということで多くの観光客が飛行機や観光船等で訪れ、現地の村ではお土産物とか見物料として 現金収入があるため、島の人達のお金に対する関心が強くなっていると言われています。しかし、これは文明人と称する人達が持ち込んでしまった価値観であり決して地元の人達の責任 ではないように思います。ヨットで訪れた私もある意味で彼等を惑わす文明人の一人だったかも知れません。

SANTO島ルーガビル湾でアンカリング

Luganville湾にアンカリングアンカリングしていた時に、ちょうど日本のヨット「平和」が湾内に入って来て、直ぐ近くに停泊し、その時、湾内で停泊しているのヨット6隻の内、 2隻が日の丸を掲げているという日本人として誇らしい気持ちになりました。艇長のヒラタさんは私と同じシングルハンドですが69才にもかかかわらず元気一杯のスポーツマンで 心意気は青年そのものという方でした。ヒラタさんとは何度か一緒に上陸したり街でコーヒー等を飲みましたが、経験豊かなお話とそのはつらつとした行動力には頭が下がりました。 バヌアツに来て既に志摩マリーナから来ていた「波羅蜜多(ハラミタ)」と今回の「平和」という日本のヨット2隻に出会うことができ、今後も更に日本のヨットに出会うことが できるような予感がしています。

PENTECOST島4カ国語を話すトォー、ケンシー、ハリー

バヌアツではかなり年配の人等を除けば「ビスラマ語」、「英語」、「フランス 語」、「地方語」等の四カ国語以上を自由に喋り、読み書きもできる人が多いようで す。ぽれーるがアンカリング地に到着した時、子供達がカヌーでやって来て、私に対し「おじさんは何語を話すの?」とフランス語(多分)でよく聞かれました。私がた どたどしい英語で返答するとそれまでフランス語を喋っていた子供達は一斉に英語に切り替えて話しかけてくれました。また、村の人と日本の話をしているとよく「日本 では何カ国語が話されているのか?」と聞かれ、「日本では日本語一つで、地方に よって少し方言がある。」と答えると「日本は一つの言語でみんなが話せるなんて、 なんと幸せな国なんだろう。」と感心する人に多く会いました。

MALAKULA島アニタと赤ん坊 MALAKULA島カヌーでデート中のアンドレーとアニタ夫婦

また、バヌアツは総 人口約20万人ですが、日本の東京には約1200万人、日本全体では約1億2700万人が暮らしていると説明すると信じられないというような 顔と数の大きさの概念 が100万も超すとピントこないというように言われました。 今、バヌアツは携帯電話ブームです。もともとこちらではテレコム系が電話事業を独 占していて携帯電話などは高級品でしたが、最近、新たに「DIGCEL社」が参入し、かなり手頃な価格(でも2000バツ)で携帯電話が手に入るようになったため と、新たに地方の島の山の頂に通信アンテナ塔が設置され通話エリアが広がったこともあります。

SANTO島WWU米軍コルセアのエンジンと

島の山道を歩いていると突然林の向こうから携帯電話の着信音が聞こえてくることがあります。村では首からストラップで携帯電話を下げていることがお洒 落である 意味のステータスでもあります。でも電気も通じていないところでどうやって携帯電話の充電をしているのでしょうか。しかし、心配はいりません。ちゃんと携 帯電話を 購入すると小型のソーラー発電器(携帯電話と同じぐらいの大きさ)がおまけで付いてきます。バヌアツの人は、日本の若者と同じように携帯電話で話すること がたいへん 好きなようです。PortVila市内では歩きながら電話をしている人を多く見かけます。お互いの声が届きそうな距離にある人同士でも結構電話で話をし ています。 DIGCEL社のもくろみはすっかり的中しているようです。バヌアツの人は、これから携帯電話で話をするために、しっかりと働いてお金を稼がなければな らない生活に向かうようです。残念ながら日本の携帯電話はバヌアツでは通じませ ん。

バヌアツJICAオフィス JICAバヌアツ・オフィスの中村所長(左)、大町さん

バヌアツに最初に入国した時、PortVilaにあるJICAバヌアツ事務所を訪れ中村所長をはじめ援助コーディネータの大町さんに挨拶し、活動状況のお話を伺う とともに無理を言って隊員の方が実施している現場を見せていただくことになりまし た。

阿部先生とリセ高校の生徒達 SANTO島サラカト小学校で
SANTO島青年海外協力隊で頑張っているユーコとヒロコ PortVila ぽれーる夜の部(JICA,、USピースコープ)

PortVilaでは郊外のラセ高校で実施されたアベ先生の日本語教室に、 Espiritu Santo島Luganvilleではやはり同じJICAの土木関係担当のササキさんに 街の中を案内してもらったり、日本の援助で進めている水力発電所の建設状況の話を 伺い、また、同じLuganvilleのサラカタ小学校に音楽教務担当として勤められている コグマ先生に授業風景を見せてもらうことができました。皆さん献身的に苦労されな がらバヌアツの人のために頑張っている日本の若い女性でその姿にはたいへん感銘を 受けました。

Luganvilleではササキさんやコグマさん、それから地元で旅行・不動産 業を営んでいるマユミさんに誘われて市内にあるKAVAバーへ何回か出かけKAV Aの酔いと会話を楽しみました。また、運良く開催されたEspiritu Santo島の日本人 会のすき焼きパーティーにも招待していただき、おいしい肉をお腹一杯いただくこと ができました。今回のクルーズでは天候と時間的な制約でバヌアツの他の島で活躍さ れているJICAの隊員の方々のすべてにお会いすることはできませんでしたが、 きっと現地の人達にとけ込んで頑張っておられるものと思います。

PortVila ぽれーるを訪れたJICAの皆さんと

再びPortVilaに戻った時にも、中村所長をはじめ多くの方がぽれーるを訪れていただき、中村 所長のお宅でご馳走になったり、シニアボランティアとして活躍されている年齢的に も私よりも10歳ぐらい上のカワグチさんやイケダさんからボランティアにかける情 熱やこれまでの貴重な体験のお話、人生の先輩としてのアドバイスを伺うことができ ました。また、JICAの草の根支援活動プロジェクトに関連して大学の研究の一環 としてバヌアツのFutuna島(PortVilaから南東に約280km離れた 大海の孤島)で一年間島の人達と生活を共にし、そこに住む人々の生活基盤の確立の ために頑張って来られ帰国直前のうら若い女性キノシタさんにPortVilaでお 会いしお話をお聞きすることができました。

PortVila近所の各国のヨットのかわいい孫娘に囲まれて PortVila港の夜 バヌアツを出港、ニューカレドニアへ

バヌアツでのクルージングを通じていろんな人と出会い、また、そこで過ごして経験 したことは、私にとって更に次のクルージングへの心の支えと糧にになってくれるも のと思います。 とりとめもない文面になってしまい、また、文書力の不足からうまく言えなかったこ と、私の間違った認識から適切でないことがあるかも知れませんが、何と度ご容赦下 さい。

2008年8月19日 ヌーメア・ニューカレドニアにて ぽれーる   関   秀 重


バヌアツ・クルーズで立ち寄ったアンカリング地

6月18日 Nguna島NaworaMatua湾(南緯17度26分、東経168度20分)
  19日 Emae島Sulua湾(南緯17度03分、東経168度22分)
  20日 Epi島Lamen湾(南緯16度37分、東経168度09分)
  21日 Ambrym島Craia Cove(南緯16度16分、東経167度55分)
  22日 Pentcost島Homo湾(南緯15度58分、東経168度11分)
  23日 Malakula島Norsup湾(南緯16度04分、東経167度23分)
  24日 Malakula島Aop湾(南緯16度05分、東経167度24分)
  26日 Malakula島Lesarmalras村沖(南緯15度53分、東経167度12分)
  28日 Malo島Avunatari村沖(南緯15度39分、東経167度05分)
  30日 Espiritu Santo島Luganville湾(南緯15度32分、東経167度10分)
7月15日 Ambae島Vanihe湾(南緯15度17分、東経167度58分)
  16日 Ambrym島Ranon沖(南緯16度09分、東経168度07分)
  19日 Malakula島Port Sandwich(南緯16度27分、東経167度47分)
  25日 Epi島Revolien湾(南緯16度44分、東経168度08分)
  26日 Moso島北東(南緯17度30分、東経168度18分)
  27日 Efate島(南緯17度36分、東経168度15分)  
  28日 PortVila帰着
ぽれーる船長  関

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2007/12/16 ぽれーる通信(ニュージランド・ワンガレイより)No.24


こんにちは、皆さん

  ぽれーるはオプア( Opua )からワンガレイ( Whangarei:(南緯35度44分、東経174度20分))へ移動しました。 ワンガレイ・マリーナに係留中のぽれーる01

 現地時間12月13日(木)9時にオプアを出港し、途中、ツツカカ(Tutukaka:(南緯35度37分、東経174度33分))でアンカリング、オプアの南約60マイルにあるワンガレイに14日13時30分に着きました。

 オプアはベイ・オブ・アイランズという湾の奥でしたが、現在停泊しているワンガレイ・マリーナ(タウン・ベイスンと呼ばれる街の中心地のウォータフロントにある。)はハテア川の河口から約2kmさかのぼったところにあります。

 川の水深はヨット等の航行にはギリギリで、キール等を含めてドラフト(水面から船底まで)が2m以上の船は満潮時を挟む1時間以内でないと悪くすると座礁する危険があります。ハテア川には所々に航行可能な水路を示す赤いポール(赤い左舷標識のみ)が立てられており、川幅はかなりありますが、航行可能な水路は狭く、川を上って行く場合はヨットの左舷をポールに接するように航行するようにとの無線での指示がありました。

 この一本水路のような浅い川で行き会い船に2度出会い、ぽれーるが右に舵を取って避けようとした時も、相手船のクリューが大きな声で「舵を取らないで真っ直ぐ進め!」と言い、少し水路の幅のあるところでぽれーるが通過するのを待ってくれていました。

 14日は12時が満潮だったので、13時30分に入港したぽれーるはその指示に従ったにもかかわらず、何回もキールを川底に擦り、その度にエンジンを吹かしながら、なんとかマリーナにたどり着きました。どおりで、マリーナの女性がぽれーるがハテア川に入る前に無線で「アンカーをいつでも落とせる状態になっているか?」と聞いてきた理由が後になってみて分かりました。船が浅瀬で座礁した場合、川の流れで更に浅瀬に流されぬようアンカーを落として救助を待つようです。地元の人に聞くと海外から来たヨットが川の浅瀬に乗り上げて立ち往生することがよくあるそうです。
ワンガレイ・マリーナに係留中のぽれーる02
 こういう事情のあるワンガレイですが、人口が約5万人でノースランドでは最大の都市です。ヨットの停泊地としても有名でヨット等の修理ドックが3つ、マリーナが4つもあります。また、それらに関連した各種のマリン・ショップ等は数え切れないほどあります。 ぽれーるはマリーナの浮き桟橋ではなく、陸岸固定の桟橋に横付けしており、満干潮差が2mを越えていますが、ワンガレイの中心地の公園に面した桟橋にはレストラン、お土産屋さん、各種ショップ、また、、近くに大きなスーパーマーケットが3つもあり、たいへん利便性がいいところです。

オプアで偶然出会ったソーレンラーセンのマホちゃん   オプア停泊中は、偶然にオークランドへ帰還中のソーレンラーセンのマホちゃんに出会ったり、イタリアのマッシモをはじめ、多くのヨット仲間、特に、ボレールのグレック&デイビー、マーシーのピーター&ジンジャーには、いつもどおり、たいへんお世話になりました。
オプアで再会したフランスのヨット仲間と
オプアでワーホリ中のショウコちゃんと

 また、ぽれーるが掲げている大きな日の丸のおかげで、ニュージランドでワーホリ中の日本の若い女性たち、ミホ、ミズエ、ヨーコ、ショウコさんがぽれーるを訪れてくれて、カラオケ、食事、お酒と楽しい話で盛り上がりました。 NZワーホリ中で頑張っている女性達と 中でも、地元オプアでワーホリ中のショウコさんは仕事の合間をみてぽれーるに来てくれ、一緒にDVDを観たりカラオケを歌ったりして元気を一杯頂きました。ワンガレイでも早速、ぽれーるの日の丸を見たということで市内で寿司や弁当の移動販売を家族でしておられる橋本さんご一家と知り合い、お宅での食事に誘われ、ワンガレイのいろいろな実情についてお話を聞くことができました。

  オプア停泊中にできるだけぽれーるの不具合箇所の修理を自分でしようと思い、トイレの配管の取り替えやバウ・アンカーのウィンドラス・モーター及びコントロールボックス等の交換をやりましたが、狭隘で仕切板等に孔を空けないと部品の取り外しができない箇所が多く、たいへん時間がかかりました。その他の不具合箇所については、分解すればするほど不具合箇所が更に見つかり、その修理に必要な交換部品もオプアでは入手に時間がかかるため未修理のままです。

オプア近郊のニュージランドの代表的な風景 オプアから5km離れたパイヒアへトレッキング
 オプア停泊中は季節はずれの雨と強風が一週間以上も続き、ワンガレイへの移動が遅れました。また、オプアは風光明媚で美しいところですが、生活に必要なマーケットやお店が5km以上離れたパイヒア( Paihia )に行かないとありません。1日1,2便のバスでの移動は不便、アップ・ダウンのある海沿いの道も自転車では厳しく、また、ぽれーるの整備等についても要望期間が合わず、ワンガレイに来ることになりました。

17日の週明けにはワンガレイにある修理ドックと上架等についてネゴし、日本を出港して約1年半になるため、ぽれーるの整備計画が決定次第、一度日本へ飛行機で帰ろうと考えています。航空券はまだ手配しておらず、インターネットでいろいろ調べていますが、価格変動の少ないニュージランドで格安航空券を入手するのは難しいようです。 ワンガレイで見かけた知り合いのヨットの人達は既に帰国していなかったり、道で出会ったヨット仲間も、ほとんどの人がクリスマス前までには自分の国に帰り、家族や仲間と過ごすようです。
ぽれーる船長  関

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2007/11/21 ぽれーる通信(ニュージランド・オプアより)No.23


こんにちは、皆さん

オプア・マリーナ停泊中のぽれーる
 ぽれーるは、現地時間11月20日12時にニュージランドのオプア(南緯35度19分、東経174度07分)に着き、入国手続きが終了しました。

 フィジーのラウトカを6日に出港したので14日間かかったことになります。オプアの天候は快晴で気温は日中22度、夜は17度程度ですが暑い楽園から来たため、たいへん寒く感じます。

 オプアはベイ・オブ・アイランズ(Bay of Islands)の奥に位置し点在する島々には多くアンカリング地があり、セイリングの盛んなところです。
入国時のオプアの親切なカスタム・オフィサー
入国時のオプアの検疫官

 また、ヨット等の入国に対してはたいへんフレンドリーでエントリーチャージ等が無料ということもあり、海外や帰国ヨット等の寄港地となっています。 オプアで感謝祭をヨット仲間と共に

 ここでもほとんどは既に知り合いになっていたヨットの人達で、久しぶりの再会を確かめ合うことができました。

 今回のフィジーからニュージランドのクルーズは、天候的にはあまり恵まれなかったようで、出発直後に「サンダーストーム」、2、3日目はまずまずの天候、4〜6日目は「強風を伴ったヘビーレイン」、やっと抜け出したと思ったら目的地方向からの向かい風(サウスウィンドウ平均20kt)と3〜4mの波、この風と波は結局、オプアに着くまで続きました。フィジーからニュージランドの距離は1100マイルですが、向かい風の中でタッキングを繰り返したため、実走破距離1500マイル(GPSトリップメータ)で400マイル(740km)余分にクルーズしたことになりました。

 向かい風(アップウィンドウ)と波の中ではクローズホールドの切り上がり性能が悪く、艇速が上がり始めると波に船首が突っ込み凄い衝撃と共に艇速がダウンし方位が落ちてしまいます。このような波との衝突を避けるにはヨットレースの時のように常時対応した操舵等を行えばいいのでしょうが、長距離とシングルハンドではそうも出来ません。結局、100マイル前進するために約200マイル走ることになりました。この時期、南太平洋方面からニュージランドに来たヨットのほとんどが、ぽれーると同じような状況で、オプア・クルージング・クラブのバーではお互いのクルーズでの苦労話が中心です。

オプア入港直前にお会いした東山ご夫妻  ぽれーるがベイ・オブ・アイランズに入りオプアにさしかかった時、すれ違った米国国旗を掲げたヨットから日本国旗をかざされ、わざわざUターンして少しの間ぽれーると併走していただいて話を聞くことができました。操船されていたのは日本人の東山さんというご夫婦で詳しくは分かりませんが船名Wanderlust船籍はHonoruruになっていました。これからワンガレイ(Wangarei)(南緯35度44分、東経174度20分)に向かうとのことで、私の行き先も同じということで、ワンガレイでの再会を記して別れました。

 ニュージランドのオプア、ワンガレイ等についてのもう少し詳しい通信は、後刻にします。先ずは、14日間のクルーズで少し疲れたので、ぐっすり寝ることにします。
ぽれーる船長  関

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2007/10/29 ぽれーる通信(フィジーのヴィチレブ島より)No.22


ブラ!(こんにちは)、皆さん

 ぽれーるは、10月27日(土)の正午にフィジーのヴィチレブ(Viti Levu)島(フィジー本島)の北西にあるデナラウ(Denarau)港のマリーナ(南緯17度46分、東経177度23分)に着いています。フィジーの日中は相変わらず暑く晴れ渡っています。日本では紅葉の美しい時期ではありませんか。

フィジー早朝のヴィチレブ島北岸
 ヨットによるクルージングでは、全てが順調というわけではありません。ツアモト諸島・ガンギロア環礁のパスでは、6ktの速い海流と逆巻く波の中でエンジンが不調になり、あわや座礁かと冷や汗をかきました。また、なんとか乗り切った環礁の中のアンカリング中に風が40kt近くになり、走錨してヨットが流され、暗礁へと近づく中、なかなかアンカーが上がらず、約1時間半の格闘の末、最後にアンカチェーンが切れ、ぎりぎりのところで環礁を脱出することができました。そういえば、どこの環礁でもパスを乗り切れずに座礁し、朽ち果てたヨットが何隻か海岸に打ち上げられている姿を見ます。

フィジー・サブサブの夕日
 フィジーは今まで訪れた南太平洋の他の島々と少し違ってインド系の人を多く見かけます。フィジー全体では人口の約半数がインド人です。特に、最初に訪れたサブサブ(Savusavu)(南緯16度46分、東経179度20分)の所在するフィジー第2の大きな島ヴァヌアレブ(Vanua Leve)島は、イギリスの植民地時代にサトウキビ工場の労働力として多くのインド人が入植したこともあり、マリーナやスーパーマーケット、お土産店、雑貨屋のほとんどはインド系の人が経営しているようです。たまに、中国系の商店があります。地元のフィジーの人たちは町の共同マーケットの細かく区画された屋台の上で多くの人が同じような果物や野菜、魚を並べて売っています。サブサブ停泊中にお世話になったコプラ・シェド(Copra Shed)・マリーナもインド人のゴーペンドラさんが経営しており、マリーナの受付でマネージャーのドーリーも、作業員のピオ、シェーファもインド人です。
コプラ・シェド・マリーナ受付のドーリーと
 フィジーの経済はサトウキビから精製される砂糖の輸出と観光の2大産業が支えているようですが、一般の生活面ではインド系の人たちとホテル等の海外資本が握っているようです。つい最近もフィジーではクーデターが発生しており、これもやはりフィジー系とインド系等の経済的な対立が根底にあるようです。また、フィジーの首都スバ(Suva)は治安があまりよくないようで、大きな町や基幹産業であるサトウキビ工場等がある港や周辺の海は生活排水や工場排水でかなり汚れています。フィジーでは観光地を除き町の中や周辺は少しゴミゴミしており、人々も少し厳しい顔つきのように見えますが、ちょっと町を離れれば美しい自然と、にこやかで親切な人々に出会うことができます。

マコンガイ島カメリ小学校の先生と子供たち
 今回、ぽれーるはそのような素晴らしい人々との出会いと美しい自然を求め、フィジーの島々の一部ですがアイランド・クルーズをして来ました。サブサブを10月17日に出港し、マコンガイ(Makongai)島(南緯17度26分、東経178度57分)、ナインガイ(Naingani)島(南緯17度34分、東経178度41分)、ヴィチレブ島の東岸及び北岸を航行し、ママヌザ(Mamanuca)諸島のマロロ・ライライ(Malolo Lailai)島(南緯17度46分、東経177度11分)、少し引き返してデナラウ港までやって来ました。途中のマコンガイ島ではカメリ(Kameli)小学校を訪問し、バレンチノ先生とその奥さんで先生のソフィに学校を案内してもらい、教材の不足や傷んだ教室の現状を聞きました。また、授業終了後にもかかわらず、先生が子供たちを集めて、みんなでフィジーの歌を歌ってくれました。お礼に先生が中央政府に提出するレポートのための現状写真を撮ってプリントアウトし差し上げました。 ナインガイ島でもすばらしい笑顔の子供たちに出会うことができました。クルーズの途中ですれ違う地元の魚を取る小舟の人たちや海岸からぽれーるを見た人たちは、その姿が小さくなるまで大きく手を振ってくれていました。また、ぽれーるの日の丸を見て「コンニチワ!ガンバッテー!」と若い地元の漁師夫婦が日本語で挨拶してくれたこともありました。

 フィジーの地方の小さな島にヨットで訪れる時は、「Kava(カヴァ)」の儀式が重要です。カヴァの儀式は訪れた島に敬意をはらうため島の酋長にカヴァを献上し、カヴァという乾燥させた胡椒科のヤンゴーナという木の根を水に浸し、絞った汁をお互いに飲み交わすものです。カヴァは茶色く濁って苦みが強く舌がしびれるような飲み物で私にとってはあまり美味しいものとはいえませんでしたが、古くから伝わる神聖な儀式でフィジーの人と打ち解けるための挨拶のようなものです。

 フィジー周辺の海は、珊瑚礁や岩による浅瀬が多く、GPSによる正確なポイント航法が必要です。特に、ヴィチレブ島東岸から北岸に沿った航行では、海底が泥のせいか海水の透明度が低く浅瀬がよく見えません。ところどころに竹竿のような棒が浅瀬を示していますがタヒチクルーズの時に見たようなしっかりした標識は一つもありません。海岸に沿って平均約2マイルの沖を航行しているにもかかわらず、約0.5〜1マイル毎に方向転換を必要とする場所が多く、迷路のような細い水路を何時間も航行しました。

一度、コースから約30mずれた時にぽれーるのキールが珊瑚礁か岩に接触したような軽いショックを感じました。また、ナインガイ島での出港時、アンカーチェーンが約10mの海底で大きな岩と珊瑚の根元に巻き付いてなかなかアンカーが揚げられず、海に潜って(私の素潜りでは5,6mが限度)チェーンの巻き付き状態を確認したり、チェーンが岩から外れるようにぽれーるを操船したりを何回も繰り返し、約1時間半の格闘の末、やっとアンカーを揚げることができました。南太平洋でのアンカリングは、風向きや潮の流れも大切ですが、あまり透明度の高い水深10m以下のコーラルグリーンの海面では海底がさらさらの砂である場合が多くアンカーの効きがよくありません。また、風向が変化しやすい湾内では生育している珊瑚等にチェーンやアンカーを絡めるおそれがあります。もちろん、アンカリングする前によく周辺の海面を観察してから場所を決めますが、既に他のヨット等がアンカリングしている場合はポイントが限られます。また、大きくて静かな湾の奥深くでは海底が泥(ソフトマッド)の場合が多くアンカーが効きません。一般的に水深が15〜20mの海の色が少し濃いブルーの海面で太陽光が海底に届きにくく珊瑚が育ちにくいところをねらってアンカリングしているヨット等が多いように思われます。

マコンガイ島で再会したピーターとジンジャー
ナナヌで出会った陽気なイタリアのヨッティーマッシモと

 ヨット仲間との出会いでは、シアトルから来ているヨット「Marcy」とボラボラ島以来でマコンガイ島で再会し、ピーターと奥さんのジンジャーに歓待され、ステーキをご馳走になりました。ちなみに、ステーキを焼いてくれたジンジャーはベジタリアンでサラダと果物を食べていました。また、ヴィチレブ島北岸のナナヌ(Nananu)ではイタリアのベニスから来たヨット「Cricchi(クリッキー)」の陽気なマッシモに出会い、お互いシングルハンド同士ということでスパゲッティとワインで乾杯し、彼はイタリア語中心に私は日本語に片言の英語ということでも夜遅くまで盛り上がり、ニュージランドでの再会を期して別れました。 デナラウ港でもお馴染みのフランスの「Jade」、オランダの「Noorderzon」、カナダの「WynterSea」が迎えてくれ、新たにヨット仲間も増えました。


 マロロ・ライライ島は観光地でコテージ中心のリゾートホテル群とレストラン、お土産ショップ、土の滑走路の小さな飛行場とマリーナがあります。 フィジー・マロロ・ライライ島 フィジーに限らず南太平洋のほとんどの観光地は欧米や先進国の観光客が多く訪れており、一泊数万円以上もする高級リゾートホテルが軒を並べ周辺や海岸は綺麗に整備されています。観光客はそれぞれ日陰で昼寝をしたり、読書、水遊び、カヌー、シュノーケリング、ダイビング等、また、夜はホテルが主催するダンスショウや音楽を楽しんでいました。 それとは対照的に地元のフィジーの人々はおだやかで質素な生活をしており、彼等の家はホテルの綺麗な作りと比べると簡素なたたずまいです。そして、彼等の家はライライ島ではなく観光客の目にとまりにくい隣のマロロ島にあります。

 ライライ島のホテルやその他のサービス業等で働く地元の人たちはそれぞれの職場の制服を着て、朝晩乗合の小舟で通って来ていました。ぽれーるや他のクルージング・ヨットは眺めのいいロケーションにアンカリングして、時たま、ディンギーで上陸しては冷たいビール、洒落たレストランで食事、ホテルのプールで水泳と、ホテルに宿泊している観光客と比べるとかなり経済的にリッチなリゾート気分を味わうことができました。

 デナラウ港はフィジー第3の町で国際空港のある観光地ナンディ(Nadi)に隣接しており、ママヌザ諸島、ヤサワ諸島等リゾートアイランドへの船の発着地です。各種のオプショナルツアーのための観光船がひっきりなしに出入りしており、待合所を兼ねた真新しいショッピングセンターには多く観光客が訪れています。ヨッティーたちが集うマリーナのBARでは、いつフィジーを離れてニュージランドに向け出港するのか、途中の天候、風、海流の状況等はどうなのかが話題の中心になっています。

 そろそろ南太平洋でのクルージングシーズンの終わりが近づいています。ぽれーるはデナラウ港で約一週間の休息とぽれーるの整備を行います。その後、フィジーのエントリー・オブ・ポート(入出国可能港)の一つであるラウトカ(Lautoka)(南緯17度36分、東経177度27分)に行って出国手続きを行い、南南西に約1100マイル(約2000km)の距離にあるニュージランド北島のオプア(Opua)(南緯35度19分、東経174度7分)を目指します。11月中旬から下旬にはニュージランドに着く予定で、これが今年最後のロングクルージングになります。
ぽれーる船長  関

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2007/10/03 ぽれーる通信(続・トンガより)No.21


 最近、ババウ(Vavau)(南緯18度39分、西経173度59分)は雨がつづき、南国の島というより、日本の梅雨の松島(仙台)のようです。日本の松島も美しいところですが、ババウは複雑な入り江と点在する島々に松島の松林のかわりに椰子、マンゴーの木等が繁っていて、珊瑚礁とコーラルグリーンの海がとても美しく、世界を旅するヨット人の憧れの地となっています。

 ババウに来て知り合った日本人女性はお二人です。フジセ・タカコさんは、ぽれーるがちょうどババウ・ネイアフ(Neiafu)のパスを通過中、湾からでて来たオーストラリアのヨット「ポラリスU」とすれ違いざまに日本語で「こんにちは!関さんですよね!・・・、カラオケ楽しんでいますか・・・」と挨拶され、少し面食らった出会いでした。ポラリスUは、以前から何回かアンカリング地で会っていましたが、日本人女性が同乗しているという記憶はありませんでした。

 上陸して、マーケットで買い物中にポラリスUのマイケルとミッシェルに出会い、タカコさんがJICAのボランティア(青年海外協力隊)としてババウ病院で歯科医として勤務されていることを知りました。後日、私は病院まで出かて挨拶し、ちょうど同じ湾内で停泊中のカナダのヨット「ガイア・スー」に夕食を誘われていたので、タカコさんと後半で紹介するヨウコさんと一緒にガイア・スーを訪ね夕食をいただきました。また、近くのカフェでアメリカのヨット「フィフス・シーズン」の奥さんが、ハープと歌のミニ・コンサートをやるというので、みんなで出かけ、素晴らしい演奏と歌声を間近に楽しみました。ガイア・スーのジュラードがカナダで歯医者さんだったということでタカコさんと二人で専門的な話でたいへん盛り上がっていたようです。

ババウで青年海外協力隊員として頑張るヨウコさん
 マツノ・ヨウコさんは、同じくJICAのジュニア・ボランティアとして、地元のババウ高校で日本語の先生をしています。ヨウコさんはぽれーるの停泊している沖合まで、ドイツの友人と一緒に日の丸を見たということでボートで訪ねて来てくれました。ぽれーるで天ぷらパーティーやカラオケ、DVDを観て一緒に楽しみました。また、ヨウコさんに誘われて、ちょうどフランスで行われている「ワールド・カップ・ラグビー2007」トンガ対イングランドの試合を近くのカフェの大きなスクリーンで観戦しました。残念ながらトンガはイングランドに負けてしまいましたが地元の人たちと共にたいへん盛り上がりました。
ババウ高校の女子高校生に囲まれてにっこり
 10月1日にはババウ高校に出かけ、地元の女子高校生とともにヨウコ先生の授業に参加しました。彼女たちは漢字を含めた文章とそんなに多くない語彙の中からでも上手に日本語を話します。これもヨウコ先生の成果だと感心しました。 海外の途上国でボランティアとして活躍している多くの方は、決して恵まれた環境といえない中でも、明るく献身的に活躍されています。そういう方々に出会えたことに感謝し、また、そういう方々から精神的なパワーをいただいて旅を続けていくことができます。


ババウで再会したカナダの練習帆船パシフィックグレース船上で
 ババウ滞在中にもう一つ嬉しいことがありました。それは昨年8月、東京からやっとの思いでたどり着いたビクトリアで知り合ったカナダの練習帆船「パシフィック・グレース」のトニーとジョーダンに偶然にもババウで巡り会えたことです。ビクトリアで彼等と「いつか、どこかで、また再会しよう」と言って別れ、広い太平洋の小さな国トンガのババウでそれが実現したからです。ちょうど一緒にいたヨウコさんとともに船内を案内してもらいました。残念ながらパシフィック・グレースはその日のうちに湾を抜けた沖合でアンカリングするため出港していきました。この後、パシフィック・グレースは南の島々を巡り、上海、沖縄を経て大阪に立ち寄り、カナダのビクトリアに帰る予定です。機会があったらぜひ訪ねてみて下さい。

 ぽれーるは、この後、フィジーのサブサブ(Savusavu)(南緯16度46分、西経179度20分)に向かいます。
ぽれーる船長  関

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2007/9/25 ぽれーる通信(トンガより)No.20

もうすっかり、日本は秋らしくなりましたか。それとも、まだ、残暑が続いていますか。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

 ぽれーると私は元気でクルーズを続け、トンガのニウアトプタプ(Niuatoputapu)(南緯15度57分、西経173度44分)を経由して、9月23日にトンガのババウ(Vavau)(南緯18度39分、西経173度59分)に着いています。(日付変更線を越えたため日本と同じ日付になりました。時差+4時間)

 トンガのニウアトプタプは、本当にいいところでした。サモア・アピアを現地時間9月13日12時に出港し、南西に約180マイル(約270km)離れたニウアトプタプ沖に15日23時(日付変更線を越えたため一日加算)に着き、その夜は洋上で漂流セーリング(ヒーブーツ)をしました。風が平均約25ktと強く、波が約3m、時々雷と更に強風を伴ったすごいスコールがをやって来て、真っ暗で風が吹き荒れ、近くに鳴り響く雷の轟音と閃光の中で眠られない夜を過ごしました。ぽれーるはかなりピッチングとローリングをしていました。朝方周囲を見ると結構沖合にも浅瀬と暗礁があり、ヒーブーツ中に流された方向が幸運で事なきを得ました。

 ニウアトプタプのパス(ラグーンへの入り口)は分かりにくく、浅瀬が多いため難所と言われています。無線でハーバーコントロールにコンタクトを試みましたが応答がなく、そのうちニウエで知り合ったオランダのヨットNoorderzonの奥さんから「ヒデ、パスは狭く、浅瀬が多いので気を付けて、島側にあるトランシット(入港方向の目印)を見つけてから入って来て!」とアドバイスをもらい、本当にありがたい思いでした。ラグーンの中は、先ほどまでの嵐のような海とは一変して穏やかで静かな水面が広がっており、既に10隻のヨットが停泊していました。

 アンカリングを終えて一休みしていた時、隣の米国のヨットSISIUTLのボブがやって来て、「今日の午後、近くのモツ(環礁の小島)でニウアトプタプ島の人たちと親睦を兼ねた食事会が開かれるので、よかったら来ないか。」と声をかけてくれました。本当は疲れていて眠たかったのですが、誘いを受けることにしました。私が疲れていることを察してボブは自分のディンギーでモツまで連れて行ってくれました。モツに着くと先ほど無線で交信したNoorderzonの奥さんのミーヤン、フランクにお礼をし、サモア・アピアで一緒だった米国のヨットCyanのチャーリーに挨拶し、他のヨットは初めてでしたが挨拶を交わし、ほとんどの方がぽれーるの大きな日の丸を見たよと言ってくれました。

 モツでは既に地元の島の人たちが食事の用意と場所の設定をしてくれており、各ヨットからはそれぞれの奥さんの得意のパイが準備されていました。私は何も持って来れなかったのですが、皆さん食べ物と飲み物を勧めてくれました。中でも、地元のニコ家族はとても親切で特製のジュースやサツマイモのような味の蒸した果物を勧めてくれました。翌翌日の月曜に、トンガのカスタム、イミグレーション等の入国管理官が小舟でぽれーるに来て入国手続きが行われました。ニウアトプタプには発電設備がなく、夜になると島も真っ暗になります。島の道は舗装がされていなく、雨が降ると至る所に水たまりができます。島の人たちの住居もかなり質素です。少し立派に見える建物は教会だけです。

Niuatoputapuの海岸でフレンドリーな島の人々と
 島の子供たちはニコニコしながら「ハローハロー」と言って付いてきます。どこに行っても大人は会う度に「タバコを持っていないか。」と聞いてきます。この島では2箇月か3箇月に一度しか連絡船が来ないそうで、それも小さな船でいつも物資が不足しているようです。ニコ家族の家は桟橋から約300m山側にあり、先日のお礼と家族の写真、長女と長男のパスポート用写真を撮ってプリントアウトしてあげました。19日には、ニコの家の庭先で子豚二頭の丸焼きはじめ、各種のローカル色豊かな食事会に他のヨッティーとともに招待され、楽しい時を過ごしました。

 20日ニウアトプタプを出港し、ババウに向かう朝、わざわざニコと奥さんのシーヤがカヤックで見送りに来てくれ「よい航海を!」と言って別れましたが、後ろ髪をひかれる思いでした。ここに来なければ出会うことのない人たちとの親交、素晴らしい自然、そして別れ、また、出会いを求めての出発、これがクルージングの旅です。

ババウについての通信は、次回のメールにします。

ぽれーる船長  関

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2007/9/12 ぽれーる通信(サモアの首都アピアより)No.19

こんにちは、皆さん

ぽれーるは、現地時間の9月2日10時にサモアの首都アピア(南緯13度49分、西経171度45分)に着きました。サモアはニュージランド・オークランドから北東に約2900kmの距離に位置し、すぐ西に日付変更線があるので、世界で一番最後に時を刻む国です。首都のあるウポル島とサバイ島を中心に9の島から成り立っており、、面積は淡路島の約5倍の大きさです。今までクルーズで立ち寄ったタヒチ、クック、ニウエ等が欧米の影響を強く受けていたのと違い、サモアは服装や酋長制度、伝統家屋の「壁のない家」が目立ち、昔のポリネシア文化を残しています。総人口18万人の約90%がポリネシア系サモア人で少し色が黒く特徴のある顔立ちとふくよかな体格があるように思われます。街の治安は良く、子供たちはかわいいのですが、観光客に対しては直ぐ「2ターラ(1ターラ=約50円)頂戴、プリーズ」と言ってきます。
サモア・アピア公園で仲良しになったソーファと
サモア美人のアンと
また、街中で写真を撮ってくれるように頼むと「20ターラ」要求する若者もいます。 もちろん、ほとんどの人々は愛想がよく、アピア公園で知り合った家族などはたいへん親切で、持って来ていたランチをご馳走になりました。長女のソーファ(10才)は日本に興味があるらしく、いろいろ質問してくれました。彼女の将来の夢は看護婦さんになって病気の人を助けるとともに、両親や家族の生活を支えるそうで、たいへん感心しました。また、街中で偶然知り合ったサモア美人のアンが周辺の観光地を案内してくれました。
サモア・アピア南太平洋オリンピック「samoa2007」閉会式
 サモアでは南太平洋地域22カ国が参加するオリンピック競技第13回「サモア2007」が8月25日から9月8日まで行われていました。観光も兼ねて、ドイツのヨットADIOのラインハート&マルレーン夫婦と一緒にビーチバレーボールと閉会式を観に行きましが、特に閉会式は南太平洋らしいリズムとポリネシアンダンス、サモアの特徴を懲らしたマスゲームなど、たいへん感動しました。また、選手とともに観客の熱狂ぶりにも圧倒されました。街中は選手や競技関係者、観光客が行き交い、屋台、おみやげ店など、お祭りムード一色でした。次回の南太平洋オリンピックは2011年ニューカレドニアだそうです。

サモアに立ち寄った目的の一つ、「宝島、「ジキルとハイド」などでお馴染みの英国の作家ロバート・ルイス・スチーブンソン(1850-1894年)が晩年の永住の地として選んだのがサモアで、彼の墓がアピアを見下ろすバエア山の頂上にあります。彼は作家活動の他に、当時アメリカ、イギリス、ドイツの植民地支配を批判し、3国の手で流刑となっていたサモア人酋長27名の釈放に尽力し、今でもサモアの人々から愛されています。 ぽれーるはアピア入港時、無線でハーバーマスターから半強制的に公営のマリーナ(有料約2500円/1日)に誘導され、電気・水道が使えるのはいいのですが、今年の8月に仮設されたばかりで至る所に浅瀬があり、キールを海底の泥に擦りながらの入港になりました。しかし、ポートキャプテン、カスタム、マリーナのガードマンはフレンドリーで、航海中に発生したトラブルの修理に必要な部品資材の入手場所、おいしいレストラン、観光スポットなどを紹介してくれました。また、街中のスーパーマーケットには冷凍しているものを除き肉類をほとんど見かけません。物価は日本に比べ少し低いのですが、飲料水は貴重で1リットルのペットボトルが4ターラもします。

ぽれーるは、この後、トンガ・ニウアトプタプに向かう予定です。
ぽれーる船長  関

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2007/8/29 ぽれーる通信(南太平洋ニウエより)No.18

こんにちは、皆さん

 いつものメール seki@vesta.dti.ne.jpが何故かニウエのネットワークで使えないので、Gmailで送信します。

 ぽれーるは、現地時間8月11日にクック諸島のラロトンガを出港し、14日同じクック諸島のPalmerston(南緯18度3分、西経163度11分、人口約200人、環礁)、23日Niue(南緯19度3分、西経169度56分、人口1万5千人の独立国、周囲約64km)に到着しています。

クック諸島・ラロトンガ島での写真(写真をクリックすると拡大します)
ラロトンガ島アバチュウ港

ラロトンガ島アバチュウ港 一番向こうの端がニュージランドの練習帆船ソーレンラーセン
日本人娘のマホちゃん

ニュージランド練習帆船ソーレンラーセンのクリューとして頑張っている日本人娘のマホちゃん
美しいヨット仲間たち

クック諸島ラロトンガで仲良しの美しいヨット仲間たち
真冬のラロトンガ島で日光浴(昼寝)

真冬のクック諸島ラロトンガ島で日光浴(昼寝)


Palmerston エディー宅での昼食会  Palmerstonでは、島の管理人のエディーとその家族にたいへん歓待されました。環礁への魚取り、島民とのバレーボール、学校の新教室建設への参加、エディー家の昼食会への招待等、また、毎日新鮮な魚(刺身用にカット)をぽれーるまで届けてくれ、約一週間のたのしい時間を過ごしました。

 Niueでは、ニウエヨットクラブにお世話になり、バーベーキュウやパーティーで知り合いのヨッティーたちと情報交換や島の観光に出かけています。25日には、日本のヨット・リバティー号も到着しました。

Palmerston エディー宅での昼食会
ニウエは、周囲64kmで山と呼べるようなものはなく、最大標高60mの真っ平らな台地の島です。港はなく、ヨットも沖合のアンカリングです。飛行場はありますが、週に1度のニュージランド便のみです。住民は約1万5千人ですが、ほとんどの若者はニュージランドへ出稼ぎに行っています。島の人たちはたいへん親切で、ほとんどの人が「こんにちは!」と片言の日本語で話しかけてきます。どうして私が日本人と分かるのか不思議です。海の水は大変透き通っていて、約30mの海底も見ることができます。ダイビングやスノーケリングには絶好の場所です。

 この後、ぽれーるはサモア、トンガ、フィジーに向かい、今年の11月中旬までにニュージランド・オプアに行く予定です。
ぽれーる船長  関

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2007/7/24 ぽれーる通信(続・南太平洋タヒチより)No.17

こんにちは、皆さん。

モーレア・オプノフ停泊
 ぽれーるは、約2箇月間、モーレア島、フアヒネ、ライアテア、タハア、ボラボラ島でアンカリングしながら島々を巡ってきました。ほとんどが観光コースから離れた島の人々の生活場所で、素朴な人々との出会いが楽しかったです。村のがたがた道を歩いていていると、突然、トラックが止まり「どこへ行くのか?(言葉はあまり分かりませんが)」、荷台に乗せてくれました。また、民家の庭先で水道シャワーを借りたりしました。

ボラボラ島の遠望
 これらの島々の村では、あくせく働く人はほとんど見かけません。時間がゆっくりと流れ、その中で人々はゆっくりしたリズムで生活しています。しかし、島の中心地の街では、歩いて10分ぐらいの信号のないメインストリートの車の多さに驚きます。ここフレンチ・ポリネシアでは、政府により人々の最低限の生活は保証されているようで、日本の2倍以上もする価格にもかかわらず、借金をして車を買う人が多いそうです。また、有名なホテル周辺を除くと、大きな街ほど治安が悪く、町中が空き缶、ペットボトル等のゴミで汚れています。南太平洋の楽園としての顔と近代文明の流れに翻弄された社会の二面があるようです。

ヒコさんと関船長 ぽれーるは、日本へ帰る友人たちを見送るため、再びタヒチ島マリーナ・ティアナに戻っています。 モーレアのヒコさんには、島を案内していただいたり、車で買い物に連れて行ってもらったり、日本からの荷物の受取、すばらしいアンカリング地の紹介等で、たいへんお世話になりました。
 ぽれーるは、この後、クック諸島のラロトンガに向かう予定です。再び、一人航海になりますが、既に、オーストラリア、アメリカのヨット仲間が当地に到着しており、メールでラロトンガの様子を教えてくれています。
ぽれーる船長  関


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2007/5/28 ぽれーる通信(南太平洋タヒチより)No.16

ツアモツ・アヘ環礁の夕焼け 南太平洋タヒチより、こんにちは。

 日本でも、きっと今頃はクルージング日和をむかえていると思いますが・・・。 ぽれーるは、約1箇月におよぶマルケサス諸島のクルージングを終え、ツアモツの珊瑚礁を経てタヒチのパペーテに現地時間5月21日10時に到着しました。

フハヒネの子供たち
 マルケサスのヒバオア島アトゥオナでは偶然にも日本のヨットのリバティ号に会い、艇長の林さん、クリューの金子さん、カナダ青年のフィリップ、リバティ号と行動を共にしているアメリカのヨット「ナマステ」のアレックス、彼のガールフレンドの日本女性とカレーパティー、天ぷらパティー、カラオケパティーと久々の日本語三昧の楽しい3日間をすごしました。 また、私のマルケサス寄港の目的の一つであったヒバオア島アトゥオナの丘のゴーギャンの墓に詣でることができ、少し感傷的になりました。・・・ 「我、アトゥオナの丘に立ち、島の娘の横顔に、在りし日のゴーギャンを偲ぶ・・・」

幸せいっぱい!  ヨットによるクルージングでは、全てが順調というわけではありません。ツアモト諸島・ガンギロア環礁のパスでは、6ktの速い海流と逆巻く波の中でエンジンが不調になり、あわや座礁かと冷や汗をかきました。また、なんとか乗り切った環礁の中のアンカリング中に風が40kt近くになり、走錨してヨットが流され、暗礁へと近づく中、なかなかアンカーが上がらず、約1時間半の格闘の末、最後にアンカチェーンが切れ、ぎりぎりのところで環礁を脱出することができました。そういえば、どこの環礁でもパスを乗り切れずに座礁し、朽ち果てたヨットが何隻か海岸に打ち上げられている姿を見ます。

ボラボラの白い砂浜
 すっかり疲れ果てても、ソロセーラーは約80近くの環礁が点在する海域では、眠ることができません。一見すると通過できそうな海域も、近づくと危険な珊瑚礁が待ちかまえています。米国で購入したGPSマップには暗礁地帯の記述はありません。もちろん、海面下の暗礁はレーダーにも写りません。結局、その日は一睡もすることができませんでした。しかし、美しいエメラルドブルーの海、白い砂浜、椰子の木の緑が鮮やかな島影、そこで見た星空は一生忘れることはありません。昔の帆船時代のセーラーは正確な地図もなくGPSもない中、命がけの航海が続いたことから考えると、まだまだ恵まれているかもしれません。

かわいい彼女と パペーテの街の中の港は、久々の都会というか、車が行きかうメインストリートに間近に面しており、排気ガスと騒音は日本の東京を思わせます。行きかう人々も少しよそよそしい感じで「ボンジュール!」とこちらから挨拶しても、半分ぐらいの人からしか返事はありません。むしろ、なぜ知り合いでもないのに声をかえるのかという怪訝な顔をする人が多いような気がします。もし東京で見知らぬ人に通りすがりに挨拶をしたら、きっと変人と思われるよりはましではないかと思います。そんな中でも、アンカリング地の近くで何かの警備をしているガードマンのサブウェイとは仲良くなりました。彼は私がぽれーるの入港届けを提出するため、少し離れたところにあるポートキャプテン事務所に出かけようとした時、キャビン・ドアとディンギーの施錠、貴重品を船の上に置かないようにと注意してくれました。もちろん、英語混じりのフランス語ですからはっきりとは分かりませんでした。
やっと剥けた椰子の実
 タヒチは現在冬の季節ですが、日中の気温約32度、湿度約75%、夜間は27度程度とわりと過ごしやすい気候です。タヒチ島の沖合約1kmには珊瑚礁の浅瀬が島全体を取り囲む防波堤のようにつながっており、太平洋の大きな波の砕ける音がしています。マリーナはちょうど内海にあり、静かなコーラルブルーが広がっています。
 結局、ぽれーるはエンジンの修理のため、パペーテの約4マイル南に位置するマリーナ・ティアナに移動し、タヒチでぽれーるに乗船する予定のヨット仲間の二人をマリーナ・ティアナで待つことになりました。
再会した「ボラーレ」で焼き肉ディナー
 また、マルケサスで少し一緒にクルーズをしたオーストラリアのヨット「ボラーレ」がマリーナの沖合でアンカリングしており、わざわざぽれーるまで来てくれ、私の顔を見るなり、「ヒデは少し痩せたようだから、今日は焼き肉パーティーをしよう」と言って私を彼等のヨットに招待してくれました。停泊中の船をよく見ると、何隻かは他のアンカリング地で知り合ったヨットがおり、航海中に何マイルか離れて航行していたスロベニアのヨットと無線交信しただけの仲でも、あらためて再会を確かめ合うようにお互い声をかけ合いました。どこに行っても世界のヨット人と例え言葉があまり通じなくても直ぐに仲間になることができます。これがヨットによるクルージングの楽しみの一つです。

 5月26日現在、エンジン修理は終わり、やっと一段落したところです。これから約2箇月間、新しくぽれーるの仲間になる日本から来る二人とモーレア、ボラボラを含めたトロピカル・クルーズを楽しみにしています。
ぽれーる船長  関

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2007/4/26 ぽれーる通信(マルケサス諸島から)No.15

赤道通過、南半球へ(2007/4/9) こんにちは、皆さん、お元気ですか。

 私は、今、マルケサス諸島を巡っています。3月21日にメキシコ・ジワタネホを出港し、4月15日にマルケサス諸島のヌクヒバ島に到着しました。途中、いろいろトラブルが発生して少し遅れましたが、赤道を越え、南太平洋の美しい島と海に感激しています。

マルケサス・ヒバオア島アトゥオナのゴーギャンの墓で  Microsoft (R) Encartaより「南太平洋にあるフランス領ポリネシアの島群。マルキーズ諸島、英語ではマルケサス諸島Marquesas Islands。丘陵性で肥沃(ひよく)な10余りの火山島からなり、パンノキ、ココヤシ、タバコが栽培されている。最大のヒバオア島には、晩年をこの島でくらしたフランスの画家ゴーギャンの墓がある。先住民はポリネシア人で、16世紀にスペイン人が到来し、1842年、フランスに併合された。総面積1274km²。人口は7538人。」
マルケサス・ファツヒバの美しいアンカリング地
 マルケサスではヨットは全て沖合のアンカリングです。すばらしいビーチがたくさんあります。私は釣りはしませんが、他のヨッティーは大きなツナやシーラを釣って、私にも大きな切れ身をくれ、食べきれないほどの刺身三昧です。世界から来ているヨッティーは皆さん、生のままの刺身が好きです。ぽれーるは日本の国旗を掲げているため、皆さんワサビを持っていないかと尋ねて来ます。私が日本から持ってきたワサビと醤油が好評です。

ヘアーカットをしてくれたフランス娘のニコラスと
マルケサス・ヒバオア島一緒に上陸
お茶目で泳ぎの得意ななキャシー  今は、ヒバオア島の近くのタフアツ島(南緯10度00分、西経139度05分)でアンカリングしていますが、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、イギリス、オーストラリア、ニュージランド、オランダのヨットが停泊しており、夕方にはどこかの船でパティーが始まり、みんなが集まってきます。 一人一人自己紹介と自分のクルージング・ストーリーを話していきます。 昨日は、フランスから来ている若い女性インテリア・デザイナーのニコラスが、ビキニのグッドプロポーション姿でヘアーカットしてくれました。なかなかの腕前です。イギリスから来ているお茶目なキャシーは4才ですが、水泳が得意です。 ぽれーるは世界を回る予定と言うと、皆さん近くに来たときは必ず自分のホームポートに寄るように言ってくれます。たまたま、行き先が同じ場合は、船団を組んで無線交信しながらクルージングします。

 マルケサス諸島には5月の初めまで滞在し、珊瑚礁が点在するツアモツ経由でタヒチに向かう予定です。
ぽれーる船長  関

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2007/3/15 ぽれーる通信(メキシコ・ジワタネホから)No.14

こんにちは、皆さん 今、ぽれーるはメキシコのジワタネホZIHUATANEHO( 17゜37’ N, 101゜33’ W )に錨を下ろしています。

2月16日に米国マリーナ・デル・レイをスタートした「PV07ヨットレース」に参加し、2月28日に約1200マイルをクルーズしピュエルト・バラータ( 20゜39’ N, 105゜15’ W )に着きました。途中、タートルベイ( 27゜40’ N, 114゜53’ W )、マグベイ( 24゜31’ N, 112゜03’ W )、カボサンルーカス( 23゜18’ N, 109゜24’ W )を経由し、それぞれの経由地でパーティー、上陸、スノーケリング等を含めた楽しいレースでした。 また、バハカルフォルニアは冬場の鯨の生息地でもあり、クルーズ途中や停泊中に、何回も間近に鯨に出会いました。

PV07ヨットレース時のクリュー  ぽれーるにはクリューとしてノーマン(73才)、コーディー(63才)、ジョー(57才)、リック(49才)のベテランヨットマンが乗り組み、寝食を共にしました。東京を出港してから常にシングルハンド航行でしたので最初は狭苦しく感じましたが直ぐに慣れ、楽しくクルーズできました。米国人の男性は普段からキャンプやパーティーで料理を作り慣れているようで、限られた材料を使って手際よく美味しい料理作ってくれました。また、クリューは皆さんロスのヨットクラブの会員で、すばらしいクルーザーのオーナーでもあり、長距離レースのコースとりについては、それぞれが自分の意見を主張しなかなか譲りませんでしたが、スキッパーである私の決定には素直に従ってくれました。

 結局、ぽれーるのレース結果は第2レグで風が強くなった時だけ、クラス別で第2位の位置につけましたが、その他のレグは風が弱く、賞を取ることはできませんでした。しかし、東京を出港する時は考えもしていなかったヨットレースへの参加、すばらしい自然とすばらしい人たちとの出会い、各ヨットクラブのサポートとその家族を含めたホスピタリティーには感動しました。知り合った人たちとの別れは、いつも寂しく、別れがたい気持ちで一杯になりました。

ジワタネホ・Ricks Barの飲み友達ドンとエルダー  その後、再び一人旅となったぽれーるは少しメキシコを南下し、私の好きな映画「ショーシャンクの空の下 The SHAWSHANK REDEMPTION」の最後のシーンで主人公のアンディーとレッドが再会する舞台となった「ジワタネホ」に着きました。 現在のジワタネホはかなり都会化していますが、それでも美しい景観と昔ながらの漁港といった雰囲気を漂わせている街です。気温は日中は34から35度、夜中でも25度以上ありまり、スペイン語はよく分かりませんが、人々は愛想が良く長くいたいと思わせる街です。 ヨット等の訪れる港にはほとんどセーラー行きつけのバーがあり、ここジワタネホではRick’s Barが有名です。早速出かけて世界のセーラーとの交流と冷えたビールを楽しみました。
ジワタネホで若きギターリスト・Nyan Feder11才と 国際ギターフェッシバルのギターリストJOCELYNと

 また、私が訪れた時、ちょうどジワタネホ国際ギターフェスティバルが翌日から一週間にわたって行われ、各会場でお酒(マルガリータ)を飲みながら世界から集まったギターリストの音色と歌声に聞き入っています。 ジワタネホには約一週間滞在して鋭気を養い、北米大陸を離れ、約3000マイル(約30から40日間)先の南太平洋の楽園マルケサス及びタヒチを目指したいと思います。
追伸
 私は、映画「ショーシャンクの空の下」の最終シーンで、レッドがアンディーに会うため40年服役した後、仮釈放規則を破って長距離バスでジワタネホを目指す時の語りが好きです。

「興奮する・・・ワクワクしてとてもじっと座っていられないほどだ・・・
 自由な人間だけが味わえる興奮だ・・・
 なんにも縛られず、長い旅に出る自由な人間の・・・・
 無事、国境を越えることができるといい・・・・
 友人に会って握手できるといい・・・・
 太平洋が夢で見たのと同じようにすばらしければいい・・・
 希望と夢を抱いて旅を続けよう・・・・」
ぽれーる船長  関

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2007/1/8 ぽれーる通信(カリフォルニア・サンデイゴから)No.13

明けまして、おめでとうございます。
今年も、ぽれーるのご支援をよろしくお願いします。


サンデイゴ・ヨットクラブに停泊中のぽれーる
サンデイゴ在住の美しい奥様達とカウントダウン・パーティー
 ぽれーるは、現在サンデイゴ・ヨットクラブ*に停泊しています。 ビザの関係で、一度メキシコに出国し、再び米国に戻ってまいりました。メキシコといっても、サンデイゴから南に約60マイルの距離にあるエンサナダというところで、米国のヨットやパワーボートがメキシコに入国するとき最初に入港する港です。

 メキシコは米国と違ってのんびりとした国で入国審査も担当官が不在ということで翌日にまわされ、書類は整っていたにもかかわらず、印鑑を押すだけの処理に約2時間もかかりました。また、ハーバーから入国審査事務所までの徒歩で約30分の道のりに物乞いをする子供の多さにも驚きました。ちょうど大きな米国のクルーズシップが入港していたため、かなり山奥から物乞いのためにエンサナダまで来ているようです。 街はスペイン風の建物と色鮮やかな看板、がたがたの道、土産物売りの人の多さ、歩道を占拠するタコス店、大人の目つきは厳しいけど、子供たちはかわいい顔をしていました。
ブラインドセーラーの岩本さんとぽれーるでメキシコ・エンサナダへ
ミッションベイで北村、岩本、丸山、元木さんと年末の鍋パーティー

 今回のサンデイゴからエンサナダの往復は、サンデイゴで知り合った現地在留日本人の岩本さんとご一緒することができました。岩本さんは盲人セーラー(ブラインド・セーラー)ですが、風のとらえ方、きびきびしたハンドリング等、すばらしいセーラーです。現在、ブラインド・セーラーの先駆者として米国で活躍されています。

オーシャンサイド・ヨットクラブの親切なレイチェルと  今年は2月中旬のヨットレースに参加するため、いったんマリーナデルレイにもどり、レース後は少しメキシコを南下してアカプルコに向かう予定です。また、今年の3月中旬には南太平洋に向かいます。
ぽれーる 関 

(注*)「San Diego Yacht Clubの位置」←クリックして下さい (JA1IDQ)

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2006/11/30 ぽれーる通信(カリフォルニア・サンタモニカから)No.12

こんにちは

 ぽれーるは、現在サンタモニカのマリーナ・デル・レイ*に停泊しています。モローベイからポイント・サンルイス、サンタバーバラ、サンタクルーズアイランド、ベンチュラ、サンタモニカと少しずつ南下しています。行く先々でフレンドリーな人々との交流を楽しんでいます。マリーナ・デル・レイでは、デル・レイ・ヨットクラブの招待を受けています。マリーナ・デル・レイは約6000隻のプレジャーボートが係留されている世界最大のマリーナです。

サンタバーバラ・ヨットクラブで熊(ベアー)さんと仲間達 サンタバーバラの赤い屋根と白い壁の街並みをバックに サンタバーバラ・ヨットクラブ会長と
ベンチュラで隣のヨットのジェリーと デルレイ・ヨットクラブでジャネットとぽれーるカラオケ マリリン・モンローも飛び入りのぽれーるパーティー


 サンフランシスコから現在まで、一度夜に小雨が降った以外、毎日すばらしい晴天が続いています。ちょうど日本の五月晴れのような天気です。

 この後、カタリナアイランド、サンデイゴ等に行く予定です。
来年の2月16日スタートのデル・レイ・ヨットクラブが主催するヨットレース(片道10日間の宴会レース)に、ぜひ参加するように勧められており、ビザの関係でいったん1月にメキシコに入国し、再びアメリカに再入国してレースを楽しみたいと思っています。

 来年の3月上旬まで、南カルフォルニア周辺を回遊しておりますので、もし、クルージング、船上宿泊等を希望される場合は、ぜひご連絡下さい。どなたでも大歓迎です。
ぽれーる 関 
(注*)「Del Rey Yacht Clubの位置」←クリックして下さい (JA1IDQ)


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2006/11/03 ぽれーる通信(カリフォルニア・モローベイから)No.11

こんにちは

モローベイヨットクラブで霧が越えていくモローロック  現地時間11月2日14時にモローベイに到着しました。
モローベイはちょうどサンフランシスコとサンデイゴの中間付近にある自然そのものの風光明媚なところです。湾の入り口には高さ50mのお椀をひっくり返したような岩山があり、細い入り口を入って行くと陸地と砂の岬で囲まれた湾が広がっています。

モローベイで出会ったジャネットと愉快な彼女たち 湾内には桟橋は少ししかなく、ほとんどの船がアンカリングかブイ係留をしています。ぽれーるもブイ係留ですが、モローベイヨットクラブ*にお世話になっており、このメールもクラブの無線ラン(無料の回線)を通じて送信しています。 アメリカのマリーナはほとんど無線LANが整備されており、インターネット接続は安価にアクセスできます。こちらの人は、結構、船に居住し、船の中からインターネットを通じ、在船勤務をしている人もいます。また、10月末でサマータイムが終わり、モローベイに着いてはじめて自分の時計が1時間進んでいることに気がつきました。

【追伸】サンフランシスコでは菅野さんという方に、たいへんお世話になりました。
菅野さんは若い時に米国スタンフォード大学に留学され、同大学院卒業後、そのまま米国でコンサルタント会社を起業されている実業家で、奥さんはオレゴン大学の教授です。
サンフランシスコで30年もヨットでクルージングされています。菅野さんのヨットは55FTの大きなケッチで地元や旅行で訪れている日本人の方をクルージングに招待されています。 菅野さんからの伝言で、もし日本からサンフランシスコに来て湾内のクルージングを希望される方、または、クルージングでサンフランシスコに来られた場合は、ぜひ、菅野さんに電話(415-860-0103)かメール(norio.sugano@villalauriston.com)を下さいということでした。
ぽれーる船長 
(注*)「Morro Bay Yacht Clubの位置」←クリックして下さい(JA1IDQ)

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2006/10/29 ぽれーる通信(カリフォルニア州モントレーから)No.10

 ぽれーるは、現在(現地時間28日11時)、カリフォルニア州モントレーに停泊しています。(気温22度、湿度42%、快晴が続いています。地元の人はこのような天気をインデアン・サマーというそうです。)

航空機の設計者を目指す5才のニコラスとSF博物館へ  モントレーは、サンフランシスコから約80海里南に位置し、モントレー湾にのぞむ港湾都市で、うつくしい海岸など自然景観にすぐれ、年間を通じてリゾート地としても人気が高い街です。出版・学術研究のほか、電子機器製造も盛んで、アメリカ海軍大学院、プレシディオ要塞(1770年建造)が有名です。その他、モントレー湾水族館の「ジャイアント・ケルプの森」も米国で人気の高い水族館です。

 ぽれーるの停泊料は26ドル/日(0.5ドル/ft)で、陸電、水道はもちろんセキュリティ完備のハーバーです。早速、入港時に手伝ってくれた隣のヨットのエディー&カトリーナと船上で夕食をともにし、南太平洋の帰途にある彼等から貴重な情報を得ることが出来ました。

 モントレーに来る途中、何回かアンカリングしてきましたが、この時期、結構強い風が夜中に吹き、それも昼間とは全く逆方向の風になるため、走錨が気にかかり、夜中に何回か起きることが多く、その点、ハーバーやマリーナはぐっすり眠ることができ、また、お隣さんとの思いがけない出会いがあります。ただし、この辺のハーバーにはアザラシが多く、ブイや岩場だけでなく、船の上まであがってきて、よる遅くまでかなり大きな声で鳴いています。また、カモメやその他の鳥も結構よく鳴いています。

モントレーでは3日間停泊し、次はさらに西海岸を南下し、モローベイを目指します。
JE1LQA/MM ぽれーる 関 
(注)「Monterey Harborの位置」←クリックして下さい(JA1IDQ)

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2006/10/21 ぽれーる通信(サンフランシスコからの便り)No.09

シアトルのロン家族のパーティへ
シアトルのロン家族のパーティへ
ファンデフカのジョンウェイン・マリーナでカークさんと奥さん
 ぽれーるは現在サンフランシスコにいます。 シアトルを現地時間10月8日に出港し、18日15時にサンフランシスコに着きました。途中の西海岸はクルージングシーズンが過ぎていたため、1隻のヨットにも出会わず、昼間は強風、夜は無風と6日間の予定が11日間もかかってしまいました。
サンフランシスコではスクーンメイカー・ポイント・マリーナ*に係留しています。サンフランシスコの街からはゴールデンゲートを渡ったリチャードソン湾にあるマリーナです。
サンフランシスコは通過点ですので、さらに南下する予定です。
JE1LQA/MM ぽれーる 関 
(注*)「Schoonmaker Point Marinaの位置」←クリックして下さい(JA1IDQ)


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2006/9/25 ぽれーる通信(カナダ・ビクトリアからの便り)No.08


お久ぶりです。

ロイヤル・バンクーバー・ヨットクラブの会員宅に招待されて
シーハムハーバーで知り合ったボブと
 ぽれーるは太平洋横断中に傷めたフォアステイの交換も終り、バンクーバー周辺をセーリング中です。バンクーバーではロイヤル・バンクーバー・ヨット・クラブの招待を受け、いろんな方の家を訪問してディナーをご馳走になりました。

カナダ・ボーエン島のジャイ、スコット家族のホームパーティーへ  今は、ビクトリア滞在中に知り合った方の招待で、バンクーバーの北西にあるボーエンアイランド*に停泊中です。森に囲まれた美しい入江にあるマリーナです。昨日は島の中央にある湖をトレッキングし、カナダ特有の深い森に囲まれた新緑と静かな湖の周辺を歩き回りました。このマリーナでもたくさんの人と知り合い、すばらしい時間を過ごしています。

 10月中旬頃までにはサンフランシスコに行こうと考えていますが、なかなかカナダを離れがたいところです。
JE1LQA/MM ぽれーる 関 
(注*)「ボーエンアイランドの位置」←クリックして下さい(JA1IDQ)

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2006/9/5 ぽれーる通信(カナダ・ビクトリアからの便り)No.07

お久しぶりです。
ぽれーるの関です。すっかりビクトリアに居付いてしまい、時間の経つのも忘れ過ごしています。
地元や米国のたくさんのヨットやクルーザーの人々と知り合いになり、とても招待された彼等のホームマリーナに全て立ち寄ることは不可能です。
しかし、ぽれーるの修理(航海中に切れかかったフォアステイの交換)のため、ビクトリアから北へ約30マイルにあるショップドックに行き、4・5日の修理をします。
その後、バンクーバー、ボーウィングアイランド等に行きます。
また、10月の中旬ころまでには、サンフランシスコ、サンディゴに行くつもりです。

追伸
前回のハーバーマスターの歓迎パーティーの時に逢ったラマですが、「何故、ラマなのか?・・」について
ハーバーマスターは山歩きが趣味でヒマラヤ、南米のアンデス山脈にも時々出かけられており、その時出会ったラマが非常に利口で、また、山歩きの時の荷物運びが得意だそうです。ハーバーマスターのラマは全て名前が付いており、マスターが呼ぶと駆けてきます。また、時々、地元の身体障害者や自閉症の子供たちを招いて、楽しい時間を過ごされているようです。ラマは人なつこく、セラピー効果があるそうです。
JE1LQA/MM ぽれーる 関 


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2006/8/20 ぽれーる通信(カナダ・ビクトリアからの便り)No.06

皆さん、こんにちは、
ビクトリアはすばらしい街です。そして非常に暖かく、人々はたいへん親切です。ハーバー(グレート・ビクトリア・ハーバー)での他のヨットやかなり大きなモータークルーザーのオーナーから祝福とディナーの招待を受けました。ぽれーる以外は全て米国とカナダの船で、それらの船は入港後、1、2日で出港していきますが、別れの折には、各船のホームマリーナへの招待を受けます。
また、到着の明くる日には、ハーバーマスター主催のパーティーに招待され、東京からの航海についてのショートスピーチを頼まれました。ビクトリアのハーバーマスターは、港の長だけではなく、水上機の飛行管制、警察、消防署、コーストガード、セキュリティ等を統括する街の名士で、多くの方に紹介されました。(航海中以上にたいへん疲れました。紹介された方の名前などとても覚えられるものではありません。) マスターの邸宅は、山の中腹にある大きな牧場の中にあり、ラマ(ヒマラヤに住む、あのラマ)が何頭も飼われています。(なぜラマなのかについては、後日のぽれーる通信で報告します。)
また、地元のテレビ局の取材も受け(取材中は航海中を模擬したやらせ動作の要求があり、これ、また、たいへん疲れました。)、その映像が放映された後は、街の至る所で、初めて出会ういろんな人から挨拶や質問を受けゆっくり観光や買い物もできない状況です。早くビクトリアを出たいところですが、テレビの取材時に「ビクトリアはすばらしく、最低でも1箇月はいるつもりです。」と言ってしまったため、そうもできないところです。まあ、2−3日もすれば、ほとぼりも冷めると思いますので、それまでは静かにハーバーで過ごします。
JE1LQA/MM ぽれーる 関 


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祝!2006/ 8/15 13:40JST ぽれーる通信(ビクトリアに到着) No.05

皆さん、こんにちは
日本時間8月15日1340、ビクトリア*到着
こちらの天候は、快晴、気温22度、湿度48%、快適な環境です。
カナダらしく隣に小型水上機の発着場があり、ひっきりなしに少し離れたところから離着水しています。汽笛、カモメの鳴き声、美しい街並み、絵のような世界です。
ビクトリアハーバー到着前に無線で連絡したところ、わざわざパワーボートで港の入り口までハーバー関係者が向かいに来てくれ、また、税関まで電話をかけてくれました。税関の職員も制服姿の凛々しいトムクルーズ並みの若者とポニーテールのかわいいカッコイイ男女の若者が来て6箇月の滞在が認められました。
到着するやいなや、周りのヨットの人や通りかけの人が気軽に声をかけてくれ、ビールや果物等が差し入れられました。
ファンデフカ海峡からビクトリアまでは、たいへん苦労しました。先ず、夜中、海峡はいる直前で「GALE(強風地帯)」に遭遇し、ジブセールのファーリング途中でジブハリヤードが切断、あばれるセールとオーバーヒールと闘いながら、やっとジブセールを巻き取り、2時間ほどでGALEが過ぎましたが、今度は無風になり、今まで見たこともないような濃霧に取り囲まれ、海峡入り口の行き会い船の多いところで立ち往生状態、全速機走で航路帯を6時間かけて脱出しました。濃霧は海峡の半ばまで続き、朝方、パワーボートとあわや衝突しそうになりました。レーダーは作動させていましたが、霧が濃すぎて、周りが転々と赤くなり、大型船以外は識別できない状態でした。やっと霧が晴れ始めて、霧の合間から間近にカナダ側の山が迫り、海ばかり見てきたところに急に黒々とした原始林の山が頭の上から見え、その威圧感に少しぎょっとしました。ファンデフカの後半は風はありませんでしたが、天気は最高でした。カナダ、アメリカの山々が海峡を挟んでかなり近くに見えていました。、結局、14日の夜にビクトリアまで来ましたが、暗くて港に入ることができず、2日間一睡もできず航路帯に挟まれた海域でグルグル回っていました。
今、ビクトリアハーバーでやっと落ち着いたところでメールを打っています。最後に来て本当に疲れました。
今日は早く寝て、明日の鋭気を養います。おやすみなさい・・・・
皆さんのご声援、本当にありがとうございました。
ビクトリアには約3箇月滞在する予定です。メールは時々これからも しますので、よろしく
ぽれーる船長  関  秀重 
*注)この位置が ビクトリア港 です

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2006/8/13 ぽれーる通信 No.04

どうも、オケラネットの皆さん、こんにちは
東京出港から37日目
日本時間13日1200現在
北緯48度28分、西経126度18分
速度4kt、針路80度、風NW7kt、快晴、気温18度
今日は随分暖かいです。
今日はクルージング中に初めて「鯨」を見ました。ほんの少しの間でしたが、約1kmぐらい離れたところで潮を吹き、最後には黒々としたビックテールを上げて姿を消しました。残念ながらカメラで写すことはできませんでした。たぶん、大きな潮吹きと小さな潮吹きが見えましたので親子連れではないかと思います。 また、陸地が近いせいか、昆布の根っこがよく流れています。
今はまだ、陸地は見えませんが、このまま行けば日本時間13日23時頃(現地12日7時頃)には、ファンデフカ海峡の入り口に到達します。
JE1LQA/MM ぽれーる 関


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2006/8/11 ぽれーる通信 No.03

暑中お見舞い申し上げます。(時候の挨拶としては遅れましたが、)、東京出港より35日目台風がいくつか日本本州をうかがっているのが天気図からも分かります。無事にやり過ごされるよう祈っております。
日本時間8月11日1220i、現在、N 47゜06‘、W 133゜48’、波3m、北の風約14kt、曇、気温13゜C、HEADING 約50゜、速度約7kt
こちらは、たいへん涼しい(本当は寒い、夜の体感温度10度以下)中を航走中です。しかし、今、雲の間から太陽が少し顔を見せ再び雲に隠れてしまいました。  
JE1LQA/MM ぽれーる 関 


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2006/8/8 ぽれーる通信 No.02


日本時間8月8日1330現在、ポジション 北緯44度35分、西経140度42分、速度3kt、HEADING 60度(真方位)、
現場の天候 曇小雨、気温17度、風W3m、気圧1021、うねり1〜2m、今日は視程はいいですが、空も海も灰色の世界です。
聞こえるのはぽれーるがかき分ける波の音、小雨がドジャーにあたる音、ジブシート等がローラー類と摩擦する音だけです。
ぽれーるはゆったりと波長の長いうねりに持ち上げられ、再びその谷間に静かにおりて行きます。現地時間では既に20時を回っていますが、緯度の関係で比較的明るいです。(日本時間23時30分頃から夜が明けてきます。)
バンクーバーのビクトリアまで、約750NM
    JE1LQA/MM ぽれーる 関


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2006/8/6 ぽれーる通信 No.01

日本時間8月6日 1200現在
北緯45度23分、西経147度11分
速度5.5kt、Heading 70度
天候 曇 霧 、気温 17゜C、風 SSW 6m、気圧 1028
人員機材異状なし
2日続けて霧の中を航行中です。(視程1NM)
JE1LQA/MM ぽれーる 関 


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2006/8/5 ぽれーる通信

いつも、ありがとうございます。
最近は、かすかに聞こえてくるオケラネットを聞いています。
日本時間8月5日0800i、現在、N 45゜41‘、W 149゜42’。
波5m、南西の風約15kt、曇、霧、気温17゜C、HEADING 約90゜、速度約8kt
少し海が荒れています。
バンクーバーまで約1000NM、バンクーバーの目的地ビクトリアは北緯48度30分付近にあり、日本の宗谷岬よりもさらに北にある町です。このまま夏が終わってしまわなければいいのですが。
皆さんと繋がっていると思うだけで、たいへん気丈夫になります。今後ともよろしくお願いします。
ぽれーる船長  関  秀重 


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2006/8/4 ぽれーる通信

おはようございます。 ぽれーるは、順調に航海を続けております。
日本時間8月4日0930現在、N 45゜33‘、W 152゜35’
三日間ほど漂泊状態が続いていましたが、昨日の朝から再び走り始めました。
波3m、南の風約20kt、曇、気温19゜C、
HEADING 約60゜、速度約8ktです。
少し北上したため、低気圧から伸びる前線の直下を東に航行しています。
2日か3日毎に航行報告を入れるようにします。(インマルサット衛星通信メール)
今後とも、よろしく                 
ぽれーる船長  関  秀重 


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2006/8/3(7:00) 44‐48N、156-05W
   天気B、針路70°、19℃、艇速6kt、1009hPa

シーガルネットより JH2UZB/7 



2006/8/2(7:00) 44‐45N、156-58W、
   針路80°、艇速3kt、1022hPa

シーガルネットより JH2UZB/7 


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2006/8/1 インマルサット経由でEメールがとどきました。

JA1IDQ 

8月1日14時、インマルサットで送信、こちら「JE1LQA」
現在、北太平洋横断中のクルージングヨット「ぽれーる」です。
日本時間8月1日1300現在
ポジション北緯43度41分、西経158度42分
速度2kt、HEADING 50度(真方位)
少し北に上がって来ましたが、高気圧の中心勢力から完全に脱しきれていないようで風が弱く安定しません。
現場の天候 曇、気温19度、風W3m、気圧1023、うねり1〜2m、視程は2マイル程、霧
先日からオケラネットで通信していますが、そちらからの音声はかすかに聞こえますが、こちらの通信は伝わらなっかたようなのでメールします。                 
ぽれーる 関 


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2006/7/27 42‐00N、166-23W、
   天気B、針路80°、艇速7kt、21℃、SW8m

JP1OTY/MM 



2006/7/26(7:00) 41‐42N、170-23W、
   針路70°、艇速7kt、

シーガルネットより JH2OYY 


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2006/7/25 40‐59N、173-04W、
   以下取れず、

JP1OTY/MM 



2006/7/24 40‐21N、176-25W、
   25℃、1024hPa、波高3m、

JH2UZB/7 


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2006/7/23 40‐01N、179-49W、(日付変更線を越えた模様)
   天気C、26℃?、SW7m、1025hPa、波高3m

JP1OTY/MMの中継 



2006/7/22 39‐43N、176-51E、
   天気B、28℃? 以下取れず、

JP1OTY/MMの中継〜JH2UZB/7 


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2006/7/18 40‐54N、169-04E、
   天気B、針路90°、艇速7kt、

JH2UZB/7 



2006/7/17 41‐04N、164-50E、今日始めてのチェックイン
   天気F/R、針路87°、SSE10kt、17℃

JH2UZB/7 


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2006/7/16 北太平洋横断中のヨット「ぽれーる」から
     オケラネットHPにインマルサット経由で下記のEメールが届きました。


日本時間7月16日(12:00) 北緯41゜34‘、東経161゜00’
針路85゜速度7ktで航行中です。現場の気温17℃、南西の風15kt、濃霧

北の天気が良くないので、現在、大圏コースから離れ東進中です。
今日のお昼のオケラネットで通信しましたが、そちらの音声は聞こえますが、こちらの通信は伝わらなかったようです。
こちらは、JE1LQAです。今後ともよろしくお願いいたします。
船長 関 



QSL CARD


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