2010/05/23 マダガスカル から モザンビークへ


 11月9日、ぽれーるはバーレン諸島ノシ・ヒルロックスを最後に約2ヶ月間におよぶマダガスカル・クルーズを終え、モザンビーク海峡を横断して対岸のアフリカ大陸へ向うことにしました。目的地はモザンビーク東海岸のバザルトBazarutoにあるサンタカロリナ島Ilha de Santa Calorina(南緯21度37分、東経35度20分)です。距離は約500マイル(930km)、マダガスカル・クルーズを共にし、アンドレ岬沖で無線交信しながら別れたアンソニーのヨット「グラン・デ・サブレ」がバザルトに既に到着しているはずでした。 モザンビーク海峡は南と北からの潮がぶつかり、かなり複雑な海流になっていました。クルーズの前半は風が弱く、風向が朝と日中ではまるで変ってしまいました。また、夜は無風状態が続き対向する海流でなかなか前に進むことができませんでした。

 それでも微風の中ゆっくりと進むぽれーるを仲間と勘違いしたのか体長10mほどの子クジラが私の手の届く間近まで来たことがありました。最初、私はぽれーるの後方100mぐらいに時々黒い大きなものが浮かんだり沈んだりしているのを不思議に思っていました。その黒い小山のようなものが更に近づいて50mぐらいになった時、その頂から潮が吹き上がって初めて鯨だと分かりました。早速、キャビンにカメラを取りに行きぽれーるのスターン(後部)に戻ってみると既にその鯨のいた周辺の海面にはその鯨を見つけることは出来ませんでした。 いつものようにシャッターチャンスを逃してしまったと後悔しながら何となく自分の足下を見て私は一瞬息が止まってしまいました。本当に手の届くところにその鯨がいたのです。その時、私はその鯨がぽれーるの舵に衝突していると思いました。そして、私はただ呆然とその場に立ちすくんでいました。その鯨は舷側ギリギリのところをゆっくりと約2時間にわたりぽれーるの周りを泳ぎ、風がなくなってぽれーるが止まったところでその鯨はゆっくりと前方に進み姿が見えなくなりました。

 また、ウミツバメ4羽がぽれーるで一晩を過ごし、最初は少し私を警戒していましたが私が危害をかけないと判断したのか私の頭の上にとまったり、手の上で水とお米を食べたりして、私がその小鳥たちに「飛び疲れたらいつでもぽれーるにおいで」と言うと少し頭をかしげかわいい目を私に向け雀のような鳴き声で「ありがとう」と言ってくれたように聞こえました。翌日、夜が明けた時には彼らの姿は見えなくなっていました。クルージング・ヨットの中には犬や猫、小鳥をペットとして連れている人達がいます。多分そういった人にとってはそのペットはペットという存在を超えて家族であり親友であるのだと私は思いました。そのかわいいしぐさや存在は疲れた心を癒してくれるのがよく分かりました。ただ、そういったペットを連れたヨットはほとんどの国で入国時に厳しい検疫検査を受け、ペットの上陸が禁止されていたり隔離されたりして問題となりやすいようでした。

 結局、行程の半分にあたる約250マイルに6日間もかかってしまいました。15日の夕方から南東の風が吹き始め16日には30ktを超えるストーム状況になり、波が次第に高くなってきました。16日の夜中に入ると50ktの突風が吹き始め波はますます高くなり波頭が大きく崩れ始めました。それでもぽれーるは約3分の1にリーフ(縮帆)したメインセールとストームジブで風を真横の左舷から受け真っ暗な荒れる海面を約10kt速度で南西に向っていました。しかし、真夜中になって凄まじいスコールとともにサンダーストームがやって来ました。これ以上の航行は危険と考えぽれーるを風に対し約40度に保ち停止する荒天ヒーブーツ(一般的にヨットが嵐の中で最初にとる対処手段で波に対して安定した状態を維持する。)に移行しようとして速度を落とし舵をきるのですがなかなか思うようにぽれーるをコントロールすることができませんでした。速度を落とした分ぽれーるは不安定になりローリングが大きくなりました。

 稲妻がそこいらで落ち激しい雨と風の中、ぽれーるはエレベータで降下する時のように大きく下がり、次の瞬間、頭の上から真っ黒な大波が襲ってきました。コクピットにいた私は波の衝撃で記憶が少し飛び、次に気が付いた時、ぽれーるは幸いにも船首を風上に向けてヒーブーツ状態に入っていました。私はハーネスで身体を固定していたのでコクピットに止まることができたようでした。ぽれーるの航行灯やライティング関係の電源が落ち真っ暗闇の中にいましたが、時々光る稲妻でメインセールとオーニングが大きく裂け、右舷前方シュラウドが宙ぶらりんの状態になっているのが分かりました。その夜は次から次へと来る大波と雨の中、ぽれーるは激しくピッチングをしていましたが私は何もすることができず、また、コクピットから動くことが出来ませんでした。サンダーストームが去り長い長い夜が明けて風は20ktぐらいに落ちているようでしたが波はまだまだ高い状態が続いていました。海水をかぶり雨で芯まで冷えた身体は重く指を動かすのさえ痛みを伴いましたが、周囲が明るくなると何となく不安が少なくなり少し元気を取り戻し昨夜の大波を受けた時の被害を調べることにしました。

 右舷前方のパルピットにカヌーをロープで固定していたため波の力でその部分のパルピットが内側に大きく曲がっていました。  右舷前方シュラウド(19mm径のワイヤーステイ)の下方ステンレスコネクターが壊れて宙ぶらりんになっていました。  右舷後方のレスキュースリングが波にさらわれ格納箱ごとなくなっていました。  キャビン内は前方から後方のすべてのルームで床板がはずれ、固縛をしていなかった荷物や本が散乱し、特に中央キャビンはほとんどのものが浸入した海水で濡れていました。また、キャビン内は床下の発電機起動用のバッテリー区画に海水が浸入しバッテリーと反応して鼻を突くような異臭がしていました。電気配電盤はほとんどのブレーカーが落ち電気がショートした臭いが残っていました。パソコンも海水がかかり2台とも電源が入らなくなっていました。浸入した海水はぽれーるの船体で一番低いエンジン・ルームの底のビルジ区画に大量に残っていました。

 先ずは温かい食事をとりたいところですがLPGガス・コンロが外れガス・ホースはつながっていましたが宙ぶらりんの状態で安全が確認できるまでは火を使うのを諦めました。そして、非常食のカロリーメイトを冷たい水でのどに流し込むのがやっとでした。また、濡れた衣服を着替えようとしましたが服を脱ぐことがかえって寒いように思われそのままにしました。寝不足と疲労と冷えた身体は私から思考力を奪い、何から手をつければいいのか分からない混乱した状態が続いていました。風と波が少し収まってきたのと何とか早く目的地へ着きたいという思いから荒天ヒーブーツをやめアビームクルーズに戻しストームジブと破れたメインセールで走りだしました。また、艇内に浸入した海水を何とかしなければという思いがありました。配電盤内に海水が貯まったままではブレーカーを「ON」にすることが出来ず電動ビルジポンプを使えないので再びコクピットに戻り先ずは手動ポンプで艇内の海水を排水することにしました。

 手動ポンプは50cmほどのレバーをコクピット側面にあるポンプの孔に差し込んでレバーを上下させることで排水するもので朝7時から開始し約3時間腕が棒のようになるまで繰り返していましたが浸入した海水の半分も排水できていないことがわかりがっかりしました。仕方なく再び手動ポンプを動かし少しした頃、休憩のつもりで目を閉じましたが目が覚めると既に夕方の5時を過ぎていました。その日は作業を止めて後部キャビンで早く寝ることにしました。モザンビーク海峡のこの付近を通過する大型船がどのぐらいあるのか、また、運悪くそれらの大型船と衝突するかも知れないかどうかというよりもその時は睡眠を優先することにしました。しかし、いざ寝ようとすると「GPSの詳細マップや区域海図のない状況でバザルトの暗礁地帯やパスをどうやって航行するか・・・、いや、行けば何とかなる・・・。」という思いでなかなか眠ることができません。結局、配電盤の内側の海水を懐中電灯で照らしながらボロ布や古い服を使って除去することにしました。

 この作業は1時間ほどで終了しましたが配電盤の内側はまだ完全に乾いた状況ではなかったのでもう少し自然乾燥を待つことにしました。再びコクピットに行き手動ポンプによる海水の排水作業を続けました。  18日の午後になってやっと配電盤のブレーカーを入れ各電気系統のチェックをすることができました。一番気がかりだった航海計器系統は風速計の指示が「0kt」で風向計も作動していないことが分かりました。その原因は直ぐに分かりました。マストトップにあるはずの二つの風向風速計がありません。また、VHFアンテナポールが後方に倒れていました。ノックダウンでマストトップが海中に没して風向風速計がとんでしまったのだと思いました。その他の計器は正常に作動しているようでした。ファーリング油圧系統、オートパイロット、航海灯、室内灯、カラオケセット、ビデオデッキはOKで、インバータとナブ・ステーションのVHF無線機、GPS、気象ファックスは作動しないことが分かりました。発電機、主エンジンは正常に動いてくれました。

 19日になって無理をして使っていたメインセールの破れが更に縦に広がり始めたため、メインセールの使用を止めジブセールのみでの航行となりました。また、その時から風向が徐々に西に変わり約60マイル西にある目的地のサンタカロリナ島へは風上行となり右舷前方シュラウドが切断したままでタック繰り返すことはマストへの負担が心配でした。結局、クルージング・ガイドブックで調べバザルトの南約30マイルにあるマガルク島Margaruque(南緯21度58分、東経35度25分)のアンカリング地へ向うことにしました。  20日朝、前方の水平線に大きなアフリカ大陸が広がっていました。モザンビークの海岸には砂漠を思わせるような砂山の島が点在し海岸や島の周りはフリンギング・リーフFringing Reefがあって大きな波が砕けていました。ガイドブックにはマガルク島周辺の海図と共にパスから約8マイルの細い水路を含むアンカリング地までの経路とGPSポイントが記載されていました。ガイドブックによるとパスの幅は50m近くあり水深も浅いところでも5mで約2マイル先のリーフ内の水深10mの水路につながっていました。

 特に航行上の問題はないと思いましたが念のためにコクピットにあるGPSにウエイ・ポイント入力しその経路上を機走でゆっくりと進むことにしました。両サイドの浅瀬にはサーフィン波がいくつも立っていましたがパス内は1m程度の波でいつものパス通過と変わりないように思われました。そして、何となく様子がおかしいと気付いたのはパスの中程を過ぎ水深計の指示が「4m」をきっていた時でした。しかし、その時でも「海図と実際の水深の差はよくあることだ。」と自分に言い聞かせていました。ところが、更に進むと水深は3mをきり水深計を見なくても海の色で浅くなっていることは明らかでした。危険を感じUターンをしようとして後方を見ましたが入った時にはなかったサーフィン波が入ってきた経路上にも立っていました。その時はもうそのまま進むしかないと思いました。次のウエイ・ポイントの水路の入口まであと約200m、そのウエイ・ポイントで左へ回頭し水路に入りますが、その先の正面にある岩場がどんどん迫ってきていました。「もし、水路を見つけることができなかったら・・・」、更に水深は2mをきりぽれーるのキールが海底をはっているのがよく分かりました。そしてその時にはぽれーるは後方頭上より波高3mほどのサーフィン波を3回くらっていました。

 コクピットはプールのようになり、キャビンへも海水がどんどん浸入していました。前方の岩場まで約50mとなったところで水深計が「4m、5m、・・・、10m」となり、直ぐ左へ舵を取りやっとリーフ内の水路に入ることができました。しかし、ホットしたのも束の間、ガイドブックによれば唯一のパスであるはずの進入経路がこの状況では外海へ出る経路を失ってしまったことを思い知らされました。いろいろ考えが巡りましたが、結局、水路つたいにマガルク島のアンカリング地まで行くことしかありませんでした。リーフ内を6マイル進みガイドブックが言うマガルク島のアンカリング地の入口に着きましたがまたしてもがっかりさせられました。そこはとてもアンカリングできるようなところではありませんでした。アンカリング地であるはずの島の北西側にはリゾートホテルがありその前が砂浜になっていて地元の漁をする小さなピログ(セールボート)が10隻ほど砂浜にあがっていましたがその前の海は水深が1mほどで遠浅になっていました。そのガイドブックのいい加減さに腹が立ちましたがガイドブックはあくまでもガイドブックで最終的な決定の責任は自分自身にあることは明らかでした。

 ぽれーるがこのマガルクのリーフ内から外海に安全に出るにはガイドブック以外のパスの位置を確認する必要がありました。それには上陸して地元の漁師かリゾートホテルの従業員に訊くのが一番確実なように思われました。しかし、上陸するためにはアンカーを下ろしてぽれーるを停止させておく必要がありました。このリーフ内でアンカーを下ろせるのは水路上のみですが、水路の幅が30mほどで狭いため風向が変わってぽれーるがふれ回れば浅瀬の岩で船体を傷つけてしまうおそれがありました。しかし、どうしてもこのマガルク島のリーフからぽれーるを安全に出すにはパス情報は必要でした。アンカーを下ろし風が変わらないことを祈りながらぽれーるに搭載しているカヌーでリゾートホテルの前の砂浜に向いました。浜辺で何人かの地元の漁師を見つけてパス情報を尋ねようとしましたがまったく英語が通じませんでした。リゾートホテルのフロントへ行きパス情報を訊くとツアーダイビング船のインストラクターを紹介してくれました。

 そのインストラクターの話によるとこのマガルクのリーフにヨットが来たのは5年ぶりでそのヨットもカタマラン(双胴の艇体で喫水が1m未満)だったということでした。また、外海に出るパスはやはりぽれーるが入ってきたコースしかないと言われてしまいました。また、リゾートホテルのフロントでインターネットの天気予報を見せて貰いましたが次の低気圧が南からモザンビークの東海岸に近づいており時間が経てば更に状況が悪くなることが分かりました。仕方なくぽれーるに戻り「これからどうするか。」と考えましたが安全にアンカリングできないリーフ内に止まることはできません。意を決して再びあのパスから外海に出ることにしました。そして、アンカーを揚げ元来た水路を戻り途中まで来たときに唖然としました。外海からの風が強くなりそれによりサーフィン波が最初にパスに入った時よりも更に大きくなっていました。水路の途中でぽれーるを止め、しばらくの間呆然としていましたが、入ってきたパスから南に約0.5マイルのところの海面が比較的サーフィン波が小さく、また、周期的にサーフィン波が収まっている時間があることに気付きました。

 ガイドブックによるとその周辺は水深が0.5mもなく危険な暗礁地帯になっていました。しかし、その時はもうそこを通って外海にでることしか考えられない状況でした。ぽれーるが持っている前方警戒ソーナーの使用を考えましたが曲がりくねった暗礁地帯を行く時はかえって判断を迷わせると思い取り付けるのを止めました。コクピットから顔を出して岩場や海の色(砂地の海底では深くなるほど青く、浅くなるほどコバルトブルーから白色に近くなります。また、珊瑚や暗岩の周辺は波で海面が泡立ち薄茶色に見えます。)を確認し速度を上げ過ぎず、また、下げ過ぎてキール底が砂地にとらわれないようにし曲がりくねりながら進みました。その間にも何回かキールを海底にこすり、また、それほど大きくはありませんがサーフィン波を何回か受けていました。約1時間半かけ最後の暗礁地帯を回り込んで外海に出られた時はかなり疲れていましたが、しばらくの間、「やっと出られた・・・」という何とも言えない開放感にしたり、「二度とこんな苦しい思いはしたくない。」という思いでいました。

 これから向う南の方向のモザンビーク東海岸には他のアンカリング地や首都で大きな港のマプトがありましたが、それらに立ち寄る気力は既になく、500マイル先の南アフリカ・リチャードベイへ直行することしか考えられませんでした。

 World Cruising Yacht "Polaire"
   ぽれーる 関