7 クリスマス島の思い出

 私の持っているパソコンの百科事典で調べると「クリスマス島」と呼ばれる名前の島は世界に3カ所あります。一つは、かつてアメリカの核実験場であった太平洋中央にあるキリバス共和国のクリスマス島(北緯01度54分、西経157度23分)で日本の宇宙開発事業団のロケット追跡センターや飛行試験場があります。二つめはオーストラリアのタスマニア・キング島の左肩にあたる小さな無人島のクリスマス島(南緯39度42分、東経143度50分)、最後に今回、ぽれーるが寄港したインド洋オーストラリア領のクリスマス島(南緯10度29分、東経105度38分)です。

 このクリスマス島はインドネシアのジャカルタから南南西に約270マイルにあり、南北及び東西が約10マイルの子犬のような形をした島は周囲をほとんど10mを越す断崖で囲まれています。平地が少なく海岸から直ぐ300mぐらいの山が続いており人々は島の北東部にあたるフライング・フィッシュ湾とその周辺で暮しています。また、島のほとんどは国立自然公園となっています。

 12月3日朝の8時、クリスマス島フライング・フィッシュ湾から北に5マイルと近づいたところでVHF16chでハーバー・コントロールを何回か呼びかけましたがまったく応答が無く、フェデラル・ポリスにも何回か呼びかけましたが応答はありませんでした。クルージングで初めての港に入る時、いつも苦労するのがこの入港前の無線コンタクトです。よほど地元の事情を知っているか、しっかりしたクルージング・ガイドブックで正確な呼出し名と無線のチャンネルでも知っていないと、なかなかこちらからの呼出しに対して応答してもらえません。(私の英語の発音が良くないこともあります。)また、船の出入りの少ない小さな港では無線機のスイッチが入っていないこともあるようです。

 ぽれーるが北太平洋を横断してビクトリアに着いた時もそうでしたが、「ビクトリア・ハーバー」といくら呼んでも応答はありませんでした。その時は30分ぐらい港の前で回り、他の船が交信しているのを聞いている内に「インナー・ハーバー」という呼出しを使っていることが分り、「インナー・ハーバー」を呼出すと一発で応答があり何とかなりました。また、ニュージランドに入国するためオプアに入った時も「オプア・ハーバー・コントロール」ではなく、先は「ラッセル・ラジオ」を呼出し入国通報をすることがレギュレーションになっており、その時は親切なアンカリング中のイギリスのヨットが無線で教えてくれました。

 ぽれーるがフライング・フィッシュ湾から3マイルとなった時、やっと逆に「クリスマス・アイランド・カスタムス」がぽれーるを呼出したため、話が通じ手続のための事前打ち合せが出来ました。クリスマス島もこれから行くココス・ケーリングもオーストラリア領で、既にぽれーるはオーストラリアへの入国をブリスベンで済ませていましたが、これらの島に立寄るには入国時とほぼ同じ手続が要求されます。また、事前にオーストラリアのビザも必要です。

 フライング・フィッシュ湾のアンカリング地には既に米国のカタマランが1隻ブイ係留していました。ぽれーるはアンカリング・ポイントを捜して湾内を回りましたが、海底が珊瑚で一杯でとてもアンカーを下ろすようなところを見つけることは出来ませんでした。結局、有料のブイに係留しカスタムスから指示された時刻が近づいたため取りあえずカヌーで近くのジェッティJettyに上陸しました。ほどなくカスタムスのピータとクオランティのジェーンが来てスムーズに入島手続が終り、港の管理事務所に行ってハーバーマスターにブイ係留したことを告げました。

 クリスマス島は1643年の12月25日に英国の船長ウィリアム・マイナーによって発見されたためクリスマス島と命名されたそうです。島の主な産業は肥料の原料となる燐鉱石とダイビング等の観光です。19世紀の終りに英国が燐鉱石採掘のため中国人を労働力として使い、後にマレー人も導入したため、島の総人口約1200人の80%以上が中国人とマレー人です。

 フライング・フィッシュ湾の北側には燐鉱石を船に積込むための薄茶色の施設と山側から伸びるベルトコンベアーが海側に突出ています。また、クリスマス島はクリスマス赤蟹で有名でちょうどぽれーるが訪れた時はその赤蟹が森から海へ、海から森への大移動をほぼ終った頃でしたがそれでも浜辺や街の中には赤蟹が一杯いました。赤蟹の大移動の最盛期には島中の道路の交通規制が行われ、道路や海岸に近い斜面は足の踏場もないほど赤蟹で真っ赤になるそうです。

 ぽれーるがブイ係留している付近の海底には色とりどりの珊瑚が生育しており、海水の透明度が高いためか20mある水深が浅く感じられました。また、熱帯魚もたくさん泳いでおり、時々魚の群れが海面をざわつかせて泳いでいました。50mほど離れた海岸近くの海面では地元の人達が朝早くからスノーケリングを楽しんだり、ダイビングの人達がぽれーるの下の海底を行く様子がよく見えていました。

 フライング・フィッシュ湾の中央海岸には50トンクラスの船が付けられるジェッティーがありますが、湾に常にうねりが入っているため着艇すると直ぐにクレーンに釣られてジェッティー上に揚げられていました。小型のダイビング船や釣に使うモーターボートは同じ海岸にあるスベリを使い車に連結されたトレーラー架台から直接海へ下ろされ、沖から戻って来ると再びスベリ使ってトレーラー架台に乗せられ車に牽引されて帰って行きました。

 島内には中国のお寺がたくさんあり、また、停泊中のぽれーるからイスラム教のモスクも見えていました。そして、朝の暗い4時からコーランお祈りの声がモスクのスピーカーを通して湾中に毎日響いていました。クリスマス島に到着した夜、隣の米国のカタマランQueequegUの夕食に招待され、ワフーWahooというマグロの一種のステーキをご馳走になりました。

 キャプテンのクウェインと彼の友人のジョン、レオの3人で世界を回っている途中、クリスマス島の直前でストームに遭遇しフォア・ステーの取付金具が壊れ、既に1ヶ月以上もクリスマス島で米国から送られてくる取付金具を待っているということでした。ぽれーるがクリスマス島に向う途中のチモール海にいて、サイクロンがクリスマス島の西300マイル付近を通過した時もこのQueequegUは湾内にブイ係留していて3mを越えるうねりに翻弄されたそうです。

 キャプテンのクウェインは40年前の大学生の時、友人と二人でトリマラン・ヨットを製作し、シカゴの近くの自宅からミシシッピー川を下りメキシコ湾に出てパナマ運河を通り西回りに世界を一周した経験があるそうです。GPSもなければ満足な海図も入手できない時代に航海したその思い出の軌跡を再び友人と共に辿っているとのことでした。

 ぽれーるがクリスマス島に滞在中、彼等とはよく交流しぽれーるの整備も手伝ってくれました。米国から部品が届きフォアステーのトラブルがフィックスした翌日の12月15日にケープタウンを目指し出港して行きました。その前日にクウェインから40年前のクルーズを記録した自作の本を彼のサイン入で私にくれ、米国に来たらまた会おうと言って別れました。

 クリスマス島に到着した翌日から買物や周辺の散策に出かけました。スーパーマーケット、小さな商店、お土産屋、銀行とどこに行っても私が日本からヨットで来たことを皆さん知っていました。不思議に思ってそのことを尋ねてみると昨夜テレビ放送された島内ニュースで本人が知らないうちに日本のヨットぽれーるがクリスマス島に来たと紹介されていたということでした。

 それもあってか、ツーリスト・インフォメーションでは係のリンダ、ダイビングショップのリニイ、ダイビング・インストラクターで島唯一の日本人の浜中さんとその日の内に知合うことができました。リニイのホームパーティーに招待されたり、みんなで土曜日の夕方、山の上の野外ステージで行われた映画を観に行ったり、ぽれーるで手巻寿司とカラオケで楽しい時間を過したりしました。また、浜中さんは仕事の合間に燃料の輸送や部品捜しにダイビングショップの車を使って手伝ってくれました。

 この島の人達は皆さん気さくで道端で会うと挨拶し、荷物持って歩いていると車に乗せてジェッティーまで送ってくれました。ハーバーマスターにハードウェア・ショップの場所を尋ねた時も車でショップに連れて行ってくれ、買物が済むまで待っていてくれて、帰りも車でジェッティーまで送ってくれました。カスタムスのピータも電話で次に航海予定のココスについて電話で聞いたところ、直ぐに車でジェッティーへ来て私を彼のオフィスに連れて行き色々説明してくれて最後にまたジェッティーまで車で送ってくれました。また、トローリング帰りのモータボートが釣上げ切身にしたツナやワフーをくれたこともありました。

 クリスマス島には1週間に一度ほどの割合で、コーストガードの1000トンクラスのトリマラン艦艇が来て中から40人程度の東南アジア系の人達を島に送って来ます。島側はそれらの人達を島のタグボートを使って2回ぐらいに分けてジェッティーへ運んでは大型バスに乗せどこかへ走り去って行きまました。後で分ったことですがこれらの人達はやはり東南アジアの難民でクリスマス島にある収容施設に運んでいるということでした。

 ぽれーるの直ぐ横を難民を乗せたタグボートが通過する時、タグボートの甲板上に座らされコーストガードの警備員に取り囲まれていましたが、無言の中にもその人達の不安そうな顔付きと私の方をうつろな目で見つめ通り過ぎる姿はしばらく間私の頭から離れませんでした。近くの海岸で遊ぶ人達の楽しそうな歓声と難民の彼等が置かれた状況のギャップ、これも世界の現実で、そんな彼等に明るい将来が待っていることを祈るのみでした。

 クリスマス島唯一のアンカリング地であるフライング・フィッシュ湾の難点は沖合からうねりが入って停泊中のヨット等は常に動揺していることです。カラオケをするため島の人がブイ係留中のぽれーるを訪れた時もリンダの旦那さんのファイと役場のアニーが船の動揺で船酔してしまいました。その点からかクルージング・ガイドブックによると長居は無用との評価を受けており、ほとんどの外来ヨット等は長くても1週間以内に出て行くそうです。結局、ぽれーるはサイクロン来襲を心配しながらも島の人々の温かい持てなしに2週間滞在してしまいました。

 ハーバーマスター曰く「クリスマス島の良さは最低2週間滞在しないと分らない。」その点ではぽれーる「合格」だそうです。ただし、停泊料2週間分の100ドル(ブイ係留にしては少し高いです。)は1セントもディスカウントしてもらえませんでした。