007/8/29 ぽれーる通信 No.18 南太平洋ニウエより

こんにちは、皆さん

 いつものメール seki@vesta.dti.ne.jp が何故かニウエのネットワークで使えないので、Gmailで送信します。

 ぽれーるは、現地時間8月11日にクック諸島のラロトンガを出港し、14日同じクック諸島のPalmerston(南緯18度3分、西経163度11分、人口約200人、環礁)、23日Niue(南緯19度3分、西経169度56分、人口1万5千人の独立国、周囲約64km)に到着しています。

クック諸島・ラロトンガ島での写真(写真をクリックすると拡大します)
ラロトンガ島アバチュウ港

ラロトンガ島アバチュウ港 一番向こうの端がニュージランドの練習帆船ソーレンラーセン
日本人娘のマホちゃん

ニュージランド練習帆船ソーレンラーセンのクリューとして頑張っている日本人娘のマホちゃん
美しいヨット仲間たち

クック諸島ラロトンガで仲良しの美しいヨット仲間たち
真冬のラロトンガ島で日光浴(昼寝)

真冬のクック諸島ラロトンガ島で日光浴(昼寝)


Palmerston エディー宅での昼食会  Palmerstonでは、島の管理人のエディーとその家族にたいへん歓待されました。環礁への魚取り、島民とのバレーボール、学校の新教室建設への参加、エディー家の昼食会への招待等、また、毎日新鮮な魚(刺身用にカット)をぽれーるまで届けてくれ、約一週間のたのしい時間を過ごしました。

 Niueでは、ニウエヨットクラブにお世話になり、バーベーキュウやパーティーで知り合いのヨッティーたちと情報交換や島の観光に出かけています。25日には、日本のヨット・リバティー号も到着しました。

Palmerston エディー宅での昼食会

 ニウエは、周囲64kmで山と呼べるようなものはなく、最大標高60mの真っ平らな台地の島です。港はなく、ヨットも沖合のアンカリングです。飛行場はありますが、週に1度のニュージランド便のみです。住民は約1万5千人ですが、ほとんどの若者はニュージランドへ出稼ぎに行っています。島の人たちはたいへん親切で、ほとんどの人が「こんにちは!」と片言の日本語で話しかけてきます。どうして私が日本人と分かるのか不思議です。海の水は大変透き通っていて、約30mの海底も見ることができます。ダイビングやスノーケリングには絶好の場所です。

 この後、ぽれーるはサモア、トンガ、フィジーに向かい、今年の11月中旬までにニュージランド・オプアに行く予定です。

ぽれーる船長  関




2007/9/12 ぽれーる通信 No.19 サモアの首都アピアより

こんにちは、皆さん

 ぽれーるは、現地時間の9月2日10時にサモアの首都アピア(南緯13度49分、西経171度45分)に着きました。サモアはニュージランド・オークランドから北東に約2900kmの距離に位置し、すぐ西に日付変更線があるので、世界で一番最後に時を刻む国です。首都のあるウポル島とサバイ島を中心に9の島から成り立っており、、面積は淡路島の約5倍の大きさです。今までクルーズで立ち寄ったタヒチ、クック、ニウエ等が欧米の影響を強く受けていたのと違い、サモアは服装や酋長制度、伝統家屋の「壁のない家」が目立ち、昔のポリネシア文化を残しています。総人口18万人の約90%がポリネシア系サモア人で少し色が黒く特徴のある顔立ちとふくよかな体格があるように思われます。街の治安は良く、子供たちはかわいいのですが、観光客に対しては直ぐ「2ターラ(1ターラ=約50円)頂戴、プリーズ」と言ってきます。

サモア・アピア公園で仲良しになったソーファと
サモア美人のアンと

また、街中で写真を撮ってくれるように頼むと「20ターラ」要求する若者もいます。 もちろん、ほとんどの人々は愛想がよく、アピア公園で知り合った家族などはたいへん親切で、持って来ていたランチをご馳走になりました。長女のソーファ(10才)は日本に興味があるらしく、いろいろ質問してくれました。彼女の将来の夢は看護婦さんになって病気の人を助けるとともに、両親や家族の生活を支えるそうで、たいへん感心しました。また、街中で偶然知り合ったサモア美人のアンが周辺の観光地を案内してくれました。

サモア・アピア南太平洋オリンピック「samoa2007」閉会式

 サモアでは南太平洋地域22カ国が参加するオリンピック競技第13回「サモア2007」が8月25日から9月8日まで行われていました。観光も兼ねて、ドイツのヨットADIOのラインハート&マルレーン夫婦と一緒にビーチバレーボールと閉会式を観に行きましが、特に閉会式は南太平洋らしいリズムとポリネシアンダンス、サモアの特徴を懲らしたマスゲームなど、たいへん感動しました。また、選手とともに観客の熱狂ぶりにも圧倒されました。街中は選手や競技関係者、観光客が行き交い、屋台、おみやげ店など、お祭りムード一色でした。次回の南太平洋オリンピックは2011年ニューカレドニアだそうです。

 サモアに立ち寄った目的の一つ、「宝島、「ジキルとハイド」などでお馴染みの英国の作家ロバート・ルイス・スチーブンソン(1850-1894年)が晩年の永住の地として選んだのがサモアで、彼の墓がアピアを見下ろすバエア山の頂上にあります。彼は作家活動の他に、当時アメリカ、イギリス、ドイツの植民地支配を批判し、3国の手で流刑となっていたサモア人酋長27名の釈放に尽力し、今でもサモアの人々から愛されています。 ぽれーるはアピア入港時、無線でハーバーマスターから半強制的に公営のマリーナ(有料約2500円/1日)に誘導され、電気・水道が使えるのはいいのですが、今年の8月に仮設されたばかりで至る所に浅瀬があり、キールを海底の泥に擦りながらの入港になりました。しかし、ポートキャプテン、カスタム、マリーナのガードマンはフレンドリーで、航海中に発生したトラブルの修理に必要な部品資材の入手場所、おいしいレストラン、観光スポットなどを紹介してくれました。また、街中のスーパーマーケットには冷凍しているものを除き肉類をほとんど見かけません。物価は日本に比べ少し低いのですが、飲料水は貴重で1リットルのペットボトルが4ターラもします。

 ぽれーるは、この後、トンガ・ニウアトプタプに向かう予定です。

ぽれーる船長  関